思うことはいつも

生活していて感じたことや触れたもの

2021年10月の記録

柴田聡子の「雑感」が凄い。

固有性とか、セルフコントロールとか、インディー精神とか、他者との断絶とか、表現の可能性とか、どこまで行ってもまとわり付く行政への怒りとか、いろんなレイヤーのテーマが、「雑感」としか言えないようなとりとめのない言葉の連なりに詰まっていて、でも確かな詩情を持って歌詞として成立している。柴田聡子という作詞家と同じ時代に生きれることを、もっと大げさに喜んだほうがいいのかもしれない。

10月はいつにも増して国内の音楽ばかり聴いた1カ月だった。
家主とザ・なつやすみバンドのライブを月見ル君想フで観る。家主のライブを見るのは今年で3回目だけど、見るたび「2021年にこんな最高なロックバンドがいるなんて!」と感動してしまう。なつやすみバンドも、先日のビルボード公演とは違う、ひさびさに見るライブハウスモードのなつやすみバンドでとてもよかった。「喪のビート」を聴けたのがうれしい。

WWW Xで開催されたYeYeとHomecomingsのツーマンに行ったのだけど、その日は何故かやけに心がすさんでいたので、そんな状態でホムカミのライブを見たらえらく感動してしまった。BPM低めのメロウな楽曲を中心にしたセットリストも、テンピュールマットレスのごとく自分の心に驚くほどフィットした。「やさしいだけでうれしかったよ」って言葉、とてもさりげなくて、ストレートで、でもその中にとんでもない批評性と人を駆動させる力があって、本当にすごい。「Cakes」の「こうならないように歩いてきたのだ」といい、福富さんの歌詞は平易な並びの言葉の中にとんでもない魔法を宿してしまうなと思う。

折坂悠太が3年ぶりに満を辞して出したアルバム「心理」が当然のように素晴らしくてうれしい。重奏ならではのふくよかな演奏に、「平成」からさらにアップデートされた歌の強さ。折坂悠太の音楽は、怒りや悲しみを声高に叫ぶのではなくて、当たり前のように怒り、当たり前のように悲しみ、当たり前のように悼んでいるのがいい。そしてそれが今のリアルな姿なのだと思う。

Yogee New Wavesはカッコよすぎて素直に聴けない自分もいたのだけど、新しいアルバムを聴いたらやっぱりとんでもなくウェルメイドなロックで、なんだかんだ最高ですという気持ち。しかし、大学生の頃「Climax Night e.p」を貸してくれたバイト先の先輩の名前が思い出せずに思い出迷子にハマってしまった。丸眼鏡にボブの、ステレオタイプサブカル女子という感じだったのだけど、やたら話が面白かったので僕はひっそりと懐いていて、ヨギーのCDを貸してくれたお礼にシャムキャッツの「たからじま」を貸した。

さとうもかのアルバムは「いとこだったら」ばかり聴いている。兄弟や家族のような関係性に歯がゆさを感じるのではなく、結ばれることのない恋人に「いとこだったら」と思う歌詞はありそうでなかった気がする。シンプルなトラックもとてもいい。

元バレーボウイズのシュウタネギ率いるWANG GUNG BANDのアルバムが、肌寒くなり始めた夜の街に合ってとにかく気持ちいい。シュウタネギと愉快なクルー含め、歌に対するまっすぐなアプローチに好感。シュウタネギと愉快なクルーの、歌の強度と大所帯な編成が醸し出す多幸感、なんとなくジャポニカソングサンバンチを思い出す。
ayU tokiOがプロデュースした太田貴子の31年ぶりアルバムは、ayU tokiOレトロフューチャーな音像がとんでもない形で爆発した奇盤。
bjonsのボーカルは奥田民生にも聞こえるし、たまに桜井和寿にも聞こえて面白い。槇原敬之の新アルバムも改心の傑作でした。

Twitterを相互フォローしていて、たまにブログを読ませていただいている方が街をテーマにしたプレイリストを公開していて、とてもよかったので自分も作ってみた。なかなか気に入っている。

トリプルファイヤー吉田靖直の「ここに来るまで忘れてた。」を読んだのだけど、その中の“音楽好きの姉の目を気にしてゆずを聴かなくなる”という一編がとてもよかった。みんなそうして、思春期に入るとともにゆずを卒業していくんだな。かく言う自分もその1人なのだけど、「境界線」「街灯」「方程式2」「朝もやけ」をはじめとする初期の岩沢曲は今でも大好きで、特に「始発列車」はいまだに心のやわらかい場所を刺激する曲第1位だ。どの曲もやたらと居心地悪そうで、神経質丸出しな歌詞と声に思春期目前の自分はとても安心していた気がする。いつだか見た、シャムキャッツの夏目くんが「方程式2」歌ってる映像もよかったな。

なんとなくエッセイが読みたい気分になったので、芥川賞候補にもなったくどうれいんによるエッセイ「うたうおばけ」を読んだ。「私vs(笑)」が「好きな言葉は『バールのようなもの』」「『UNOって言ってない』って言う人嫌い」レベルの自意識でキツかったのだけど、まつ毛屋のギャルの「夏って、でっけー目で見たいもの、いっばいあるじゃないですか」がとてもよかった。
北村紗衣「批評の教室」、批評というものの在り方や作法をとても丁寧に紐解いていて読みやすいし面白い。

名作漫画というものをことごとく通過せずに生きてきたので、たまには何か読もうと思い、手に取ったのはハロルド作石「ゴリラーマン」。EMCの「給料日前で金ないし ゴリラーマンまとめて読むか」というフレーズくらいでしか知らなかったのだけど、とても面白かった。友情漫画や熱血系不良漫画になりきらないドライさがとても心地いい。
あと、この感じで読んでないと知られると目に見えてガッカリされる「よつばと」と、ついにちゃんと向き合っている。かつて大嫌いだった友人と、かつて片想いし続けた女性がこの漫画を大好きだったので、そのことばかり思い出して変な気持ちになる。

M-1 3回戦の動画が公開されてるけど、全然見れていない。1日だけ会場に見に行ったのだけど、相変わらずシシガシラがたまらなく面白かった。
あと最近演芸おんせんが大好き。このネタもラフターナイトのネタも、言語化できない自分のフェチのような部分を猛烈にくすぐられてしまう。

渋谷HUMAXシネマで「ひらいて」を観た。後半30分が抜群に面白い。ある人から見たら暴力的に思える行動が、誰かの心を文字通り“ひらいて”いくという、そのラストのために過剰なまでに遠回りする語り口もまたすごい。美雪に「反省してないんでしょ」と言われてすごすごと橋を引き返した愛が、校舎と校舎をまたぐ通路を駆けて渡るラストの美しさ。自分は、すべての表現はこの世に存在していない(と思われるような)オルタナティブな関係性を描いてほしいと思っていて、そういう意味で「ひらいて」は100点満点の映画だったのではと思えてしまう。
「DUNE」はIMAX体験としてすごく新鮮だったのだけど、その興奮が3時間近く持続するかというと、うーんという感じでした。

選挙特番は太田光出演のもの含め見る気になれなかったので(もちろん投票行って外食はしたけれど)、開票日は部屋の明かりをすべて消して彼女と一緒に、YouTubeで公開された「わが星」を見た。すべてがどうでもよく思えた。

10月でもっとも好きなあるあるは、歩道を歩いてる時に、駐車場から出ようとしてる車に進路を塞がれて、車の後ろに迂回して通ろうとするけど、迂回してる途中で車が発進して、「2.3秒待ってれば迂回せずにまっすぐ行けたじゃん」ってなる でした。

2021年9月の記録

岸政彦「東京の生活史」を少しずつ読んでいる毎日だ。150人もの生活が質量を持ってそこにあるという、それだけでたまらない気持ちになる。どこにも掬われることのない、取るに足らないような生々しい生が全てのページに刻まれていて凄い。

パンクバンドMILKのメンバーでもあるINAによる漫画「つつがない生活」も、1人の人間の生々しくささやかな生を描いた作品で、大切なことを言う前に「これから大切なことを言います」と言ってしまう照れがいい。
真造圭伍の「ひらやすみ」1巻がとてもいい。田島列島が推薦してるのも頷ける、物を与えることについての物語だ。舞台となる家を筆頭に、カリン酒、ペットボトルの水、ライト、白いアジサイと要所要所に出てくる''贈与''が人と人の連帯を炙り出す。
熊倉献「ブランクスペース」2巻は終盤になるに連れて不穏さが増していって胸がざわつくのだけど、線が少なく柔らかいタッチの絵がとにかく好みなので読んでられる。熊倉献という作家は「春と盆暗」から一貫して想像力について描いていて興味深い。
川勝徳重「アントロポセンの犬泥棒」はまだ整理が追いついていないです。

「お耳に合いましたら」最終回を見て、想像以上にお耳ロスに陥っている。好きなものを好きということを、絶対に止めない。OPとEDがどちらも超絶いい曲なのだけど、チェン飯のごとく誰にでも開かれていてすごくよかった。
「セックス・エデュケーション」シーズン3も一気に視聴した。ときに間違えたり関係を壊したりしながら、''恋人''や''友人''という言葉に囚われない2人だけの関係性を結んでいる登場人物全員が大好きなのだけど、特にメイヴとエミリーの関係性に瞳を潤してしまう。メイヴとオーティスが置いてけぼりにされて距離を縮めるみたいな、たまにベタなメロドラマのようになるのも好きです。

渋谷WWWで冬にわかれてと片想いのツーマンを見た。片想いのライブを生で見るのはいつぶりだろう。相変わらず終始頬を緩ませながら見てしまう。一切押し付けがましくなく、しかし生活レベルで確かに''鼓舞''してくれる音楽だ。しかしなんと言っても冬にわかれて。本当に素晴らしかった。美しすぎるバランスで作られた綺麗なトライアングル。1曲目に披露した「もうすぐ雨は」が本当に大好きで、「今から出たら多分あの橋のあたりで僕ら会えるだろう 今から出たら多分あの橋のあたりで上手く会えるだろう」というリリックから溢れ出る「多分会えないだろう」という予感に胸を打たれる。そんなことを考えていたら、2曲目の「君の街」で「会えたためしはないけれど 君を思っていたんだ」という言葉が飛び込んできて、冬にわかれてというユニットの輪郭が見えた気がした。
月の初めにはBASEMENTBARでMagic, Drums & Loveのライブも見た。いつ行ってもお客さんの年齢層の高さにビックリする。もっと若い人も来ればいいのに。メンバーがどんどん増えて、編成にとらわれない豊かなロックンロールが渦巻いてました。
田中ヤコブが提供したNegicco・Kaedeの曲、最高。



フジの特番「最強ピンネタ15連発」を見たら、狂おしいほど大好きな佐久間一行「お菓子劇場」がフルで放送されてて、狂喜乱舞してしまった。4回見た。佐久間一行のポップの皮を被った狂気、本当に大好きだ。井戸オバケなんてネタ史上一番設定が狂ってるんじゃないだろうか。



ゴッドタンの腐り芸人セラピーのみなみかわ回は、久々にゴッドタンで胸がときめいた。チャンスの時間の「ノブの好感度を下げておこう」でゲラゲラ笑う。「パシフィックヒム」に並ぶモニタリング企画だ。
「サラリーマン川西の夏のボーナス50万円争奪ライブ」は全組面白かったのだけど、設定とキャラクターと視覚的な面白さが密接に結び付いたゼンモンキーに感動してしまった。

10月のことだけど触れないわけにはいかない。キングオブコント2021が素晴らしかった。一新された審査員や温かすぎるほど温かい会場の空気で、こんなにも変わるのか。
ここ数年ずっと方々から聞こえていた「コントは''面白い''だけじゃない」という叫びが、ここにきて急に報われたような気がして、勝手に感慨深くなってしまった。今大会にはコントの無限の可能性が詰まっていたような気がする。つまりそれは、ホムンクルスへの気持ち悪さと母性という相反する感情だったり、「好きだなあ」と胸の内が明かされる瞬間のあまりに華麗な裏切りだったり、妄想が具現化するという構成の妙だったり、誘い笑いというプリミティブなギミックの発明だったり、天井の高さを活かしたチャレンジングな試みとそこに発生する恐怖だったり、危ないとされるおじさんへの屈託ない眼差しとおじさんの自我が増幅していく過程だったり、特殊な性癖と正義感を併せ持つ人間の複雑さとドラマチックなストーリー展開だったり、レジ袋をケチるという設定の時代性だったり、たまたま開いた扉の向こうに広がっていた豊かな無駄に溢れる異世界だったりする。ということで今は、人と人の関係性や感情なんてものは一切描かず、淡々とボールを体に当て続けたニッポンの社長の異質さに慄いています。あの無機質な機械の回転音とボールが当たったときの鈍い音が耳から離れない。

そして9月はそんなキングオブコントに収まらない、また別のコントの可能性を見た月でもあった。ユーロスペースで行われたダウ90000第2回本公演「旅館じゃないんだからさ」である。これがもう素晴らしいったらなかった。瑞々しく心地いい会話がひたすら繰り広げられる90分。間違いなくコントであり演劇なのだけど、いわゆる''コント''と大きく違うのは、めまぐるしく入れ替わるボケとツッコミの役割だろう。主に蓮見さんがツッコミを務めるコントと違って、大半の登場人物は固定的な役割を持たずに、ボケとツッコミをシームレスに行き来する。でも、現実での会話ってそういうものではないだろうか。当たり前だけど、この世のほとんどの人間が現実での会話では役割を持たずに、ときにボケになったりときにツッコミになったりする。そしてそれは、誰もが正常な部分と異常な部分を持っているということの表れではないだろうか。例えば、一緒にいたいがために映画を見るという恋心が自分に向けられた途端分からなくなるように。
そんな人の異常さ / 正常さ が顔を覗かせながら、止めどなく続く会話がとにかく心地いいのだ。「自己中メンタリズム」みたいなフレーズや、固有名詞の使い方も程がいいし冴えている。特に中盤の、それまでの登場人物が一気に交わる瞬間がたまらなく面白くて、なんとなく映画「街の上で」のハイライトを思い出した。後半になるに連れて増してゆくエモーショナルな部分も加減がちょうど良くて、ラストのあの薄明かりのささやかさは''エモい''なんて言葉に回収されない尊さがある、なんてことを思った。
人の記憶や思い出はあらゆる場所や物事と密接に結び付いていて、ときにそれはレンタルショップの会員カードのようには簡単に更新できないものなのだ。花を見るたび昔の彼女のことを思い出したり、映画の内容は覚えてなくても誰と見たかは覚えていたり、人の記憶は一見関係のないそこかしこに宿っている。そしてこの公演は、そんなレンタルショップで繰り広げらるやりとり全てを形にして残してしまう。何せ劇中でのこのお店のレンタル料は1枚108円。そう、この物語は消費税改定前、2019年10月以前の物語なのだ。今はもうそこにない過去の出来事を、演劇は、コントは、形に残してしまう。確かにそこにいた店員やお客さんやその彼氏や彼女の生活が、はっきりとここに刻まれているのだ。

2021年8月の記録

金輪際で上出来の夏は来ないさ
台風クラブ「飛・び・た・い」)

今年の夏が上出来だったかはさておき、金輪際上出来の夏なんてくるのだろうか。今年の夏が上出来だったとしたならば、それはひとえに台風クラブと家主のツーマンのおかげであります。間違いなく、今一番見たいツーマンだった。この2組を見るととっくに忘れ去ったはずの''ロック''への憧れなんてものがうずうずと蠢き出す。特に家主は見るたびに「日本一のライブバンドだ!」と高らかに叫びたくなってしまう。すばらしかの加藤さんが選んだという客入れSEもとてもよくて、この日以降Bikerideのアルバムをずっと聴いている。
betcover!!、羊文学、LIGHTERSと国内の良作が多数ドロップされてるのだけど、自分はAnd Summer Clubの「Dreaming Galaxy」にずっと夢中です。「ささやきラブレター」の普遍性、なんなんだ。かつてくるりシャムキャッツが握っていたバトンが、ひょっとしたら今はAnd Summer Clubの手の中にあるのかもしれない。

ときに、夏の曲はほかの季節の曲よりも、不思議と記憶と結びつきやすい気がする。大学生の頃、暇を持て余しまくりな夏休みに「一度くらいやってみたいよね」とか言ってキャンプに行って、帰りの車で全員寝てるなか運転席の窓を開けた瞬間ラジオから流れてきた曽我部恵一の「夏」とか。彼女と千葉県の端までアテもなく車を走らせてる時に聴いたyojikとwandaの「ナツ / Summer」とか。聴くたび当時の景色をはっきり思い出す。ちなみに千葉県の端っこにはピネキというとてつもなく美味しいソフトクリーム屋さんがありました。
夏の終わりといえばこのライブ映像が無性に大好きだ。「僕の何か1つを信じてほしい」

ケリー・ライカートの作品をイメージフォーラムで1日ぶっ通しで見たり、「サマーフィルムにのって」「プロミシング・ヤング・ウーマン」「ドライブ・マイ・カー」を見たりした。「プロミシング・ヤング・ウーマン」、娯楽として消費してはいけないという思いと、映画としての圧倒的な面白さの相反する感情でぐちゃぐちゃになった。
「サマーフィルムに乗って」は伊藤万理華がとにかく最高。時間の経過で消えてしまうもの / 残るものという主題はあらゆる作品が何度描いても胸を打たれてしまう。同じくそんなことを描いた「花束みたいな恋をした」が10年後の映画だったら、絹と麦は夜道を歩きながらこの曲を歌ってたんだろうなと思う。


夏なので木皿泉「すいか」を全話見た。絆の父親がメロンを頬張るシーン、何回見ても凄い。
あとは夏を感じるために「We Are Who We Are」を垂れ流してたりなんかした。

引き続き1人あだち充祭りを開催していた。「ラフ」はあだちの技がこれでもかと詰め込まれたひたっすらウェルメイドなラブコメなので、意外と語るのが難しい。もちろん大傑作なのだけど。あだち作品でヒロインを1人選べと言われたら、二ノ宮亜美を推したい。
「スローステップ」は「H2」や「ラフ」と比べたら一枚落ちるのだけど、あのすべてが宙ぶらりんな、結末のなさはたまらなく好きだ。

マヂカルラブリーANN0のゴールドラッシュ回が最高だった。「食べれば食べるほどお腹が空く」より的確なゴールドラッシュ評はこの世に存在しないと思う(まずそもそもゴールドラッシュ評なんてものが存在しない)。QBハウスにすた丼にゴールドラッシュ.....現代を生きる人間の、どこにも記録されないであろうリアルで飾り気のない生活が深夜3時にひっそり垂れ流されてるの、たまらない。一時期よく行ってた渋谷南口のゴールドラッシュがなくなっていたのはとてもかなしい。渋谷南口のゴールドラッシュは、ハンバーグを食べるどのタイミングにも合わないフローズンドリンクが飲み放題でした。
雨上がり決死隊のべしゃりブリンッ!」は間違いなく自分の青春を形作った番組の1つなはずなのに、例の配信は完全なる無感情で見てしまった。優しくなりたい。

ななまがりが「けんちゃん」でキングオブコント敗退したのが俄かに信じられないのだけど、いろはに千鳥のななまがり回で千鳥の2人がずっと天才天才言っていて、すこし溜飲が下がった。ムーは万物の祖だ。
ダウ90000蓮見さん作演出のコントライブ「夜衝」は散々話題になっているので今更だけど、とてもよかった。映画館のゴミ回収員が主役のコントなんて、史上初なのではないだろうか。誰も取り上げない人たちを取り上げたコントは、もうそれだけで素晴らしい。
ハチカイのこのネタ、凄いですね。完全なるイリュージョンだ。



8/28に全日本アマチュア芸人No.1決定戦という大会で優勝させていただいて、とてもうれしかったです。千歳烏山は自転車がめちゃくちゃ多かった。公文の前くらい多かった。

8月もっとも好きなあるあるは「醤油をかけて初めて気付く目玉焼きの撥水性」でした。

2021年7月の記録

何かを好きになる感情っていうのは言葉にしてちゃんと伝えないと、心が麻痺してしまうらしい。つまり、好きなものがあるのに長い間誰にもずっと言えないでいると、心が「感動する必要性がない」と感じて、何かを好きって感じることすらやめてしまうんだって。怖い言い方しちゃうけど、好きが死んでしまうんだって。
「お耳に合いましたら。」第1話。

何故自分がこうしてこんなブログを書くのか、その答えをまさか吉田照美に教えてもらうとは。「お耳に合いましたら。」はそんな「好き」に溢れてて(これ見よがしな熊倉献「ブランクスペース」とか空気階段「anna」とかむず痒いところもあるのだけど)、とても愛おしくて面白い。1話、2話、3話と、徐々に介入していく''他者''の範囲が広がっていくのがとてもいい。とりわけ壁越しの隣人との交流を描いた3話が好きで、手土産として買った蕎麦に背中を押されるという脚本のスマートさに惹かれる。すっかり毎週の癒しになっております。

temp.というタイのバンドのアルバム「HIBISCUS」がとてもよくて夏に合うのでずっと聴いている。ホーンの音が心地いい。


Faye Websterのアルバムはもう普通に大好物。インディフォークの穏やかな海にカーディガンズの絵の具を一滴垂らしたら、みたいな。そんな感じ。
5月にライブで聴いたxiexieの新曲が配信されていて、これがまた素晴らしい。今ここまで真正面からいいメロディのインディーロックを鳴らせるバンドがいるなんて。もっと話題になっていいバンドだと思う。5月にSaToAとのツーマンを企画した人の慧眼よ。


 そんなSaToAの新曲「勇敢な君へ」は1stからここに辿り着くまでのグラデーションがとても綺麗で、その年代ごとの女性3人のリアルがキャプチャされているようでグッとくる。初期のあの無鉄砲さこそないものの、相変わらず構成や細かい展開が狂ってて、ありきたりなポップスに回収されない強さがある。しかもそれらさえもキュートに響かせてしまうのがSaToAの魅力だ。


ネバヤン安部勇磨のアルバム「ファンタジア」はバンドの何倍も好きかもしれない。細野晴臣的でありながら、どことなく坂本慎太郎の空気感もある。「素敵な文化」の、ナンセンスさすら感じさせる脱臼感と''本当のこと''を行ったり来たりするリリックがとても好き。
グソクムズの新曲「すべからく通り雨」もとてもよくて、やっぱり数多いるはっぴぃえんどフォロワーの1組にしてしまうのは惜しい存在だよなあと思う。日本語の響きもビートルズビーチボーイズの間を行くようなコーラスワークも素晴らしい。
サラダというバンドの名盤「20の頃の話」に収録されている「暑くてとけそうな日だった」は大名曲なのでみんな聴くように。



「映画:フィッシュマンズ」は予想以上に席の埋まりが早くてなかなか行けなかったけど、なんとかアップリンク吉祥寺の最前列で首を痛めながら観ることができた。正直、佐藤伸治が亡くなってからのフィッシュマンズはあまり追うことができていなくて、だからこそ最後の茂木さんの言葉が胸に刺さった。映画を見て「そうか『IN THE FLIGHT』は活動10周年のときに作られたのか」と今更思った。この曲の「僕はいつまでも何もできないだろう」という言葉の優しさにずっと勇気づけられている。

島泰三の「自由意志の向こう側」という本をちびちび読んでいたら、そんなさなかに藤本タツキの「ルックバック」が公開された。芸術が持つ力への熱烈な信奉やそこに発生する業のようなものを、肯定的な決定論の中で描いてしまう。その肯定的な眼差しは他でもない自分の背中に向けられてるんじゃないかと思ったりした。
「Sonny Boy」は楽曲製作陣に惹かれて観ているけど、今のところあんまり乗れていない。90年代っぽいというハイパーウルトラ雑な感想が1個目に出てきてしまう。

夏なのであだち充をひたすら読み返す。改めて「タッチ」は1億部売れたことが信じられない。いや、こんなに徹底的に''身近な人の死の呪縛''を描いておきながら、ちゃんと売れるような作品にしてしまうのがあだち充という作家の凄さであり偉大なところなのだけど。 あの有名な告白シーンの主語が「僕」でも「俺」でもなくて「上杉達也」であることにどれだけの意味が込められてるか。
最近人に会うたびにあだち充の話をしてるのだけど、やっぱりあだちって上手すぎて上手さが伝わりきってないのでは?と思ってしまう。例えば「クロスゲーム」の「青葉ちゃんには伝えてあげて。本当のことを」というあまりに大事なセリフを、全く違う文脈で出してしまうのがあだち充なのだ。そしてそれをコマ割りだけでさりげなく際立たせるのがあだち充の巧みなところ。
クロスゲーム」はあだちが「タッチ」で描けなかった「死者からの赦し」を描いてるという視点で読むとめちゃくちゃ面白いし重要な作品だと思う。それを象徴するのがあかねと柏葉というキャラクターの正反対さだ。あかねの体を借りて言葉を伝える若葉と、コウの体を借りてマウンドに立つ青葉の共時性みたいなのもかなり冴えてる。ただ登場人物と試合の魅力がH2の100分の1くらいしかないのが惜しいところ。というかH2は、何回読んでもおもろすぎ。

ABCお笑いグランプリは、カベポスターの1本目が圧倒的に好きだった。システムと展開の美しさよ。話の運びがまるで麻耶雄嵩の「さよなら神様」のようで、たまらなくワクワクしてしまった。「さよなら神様」に収録されている「バレンタイン昔語り」は傑作です。
全日本コントファンクラブは東日本も西日本も最高で、東日本の滝音でただただゲラゲラ笑ってしまった(西日本のネタはイシバシハザマのおかしな話を思い出した)。ななまがりの、コントの構造に挑戦的なネタは毎回感動してしまう。ロングコートダディがとんでもなくシンプルな形になっていて、2本とも超面白かった。

霜降り明星オールナイトニッポン粗品欠席回はもうひたすら楽しかったです。いつもこういう事件的な回に一切お茶を濁すことなく''お笑い''をやってしまう、その体力に感銘を受ける。タケシのシチュー、行きたかった。
「夜衝」も予定があって断念したのにその予定がなくなって、なんか虚しかったので配信見ます。

オリンピック開会式の真っ最中にサウナに入ったら、テレビで普通にベストワンが流れてて嬉しかった。「誰も見てないだろうお笑い番組が一番面白い」なんてスノッブな楽しみ方をしてしまう。ちなみに「誰も見てないだろうお笑い番組が一番面白い」という感覚は、27時間テレビの真裏でやってたクイズ⭐︎タレント名鑑の「そっくりさん10人11脚」に教わりました。藤井健太郎ワークスで一番好き。
ベストワンはなんと言っても爆笑問題カーボーイでの80分にわたる1人語りの数日後にバカ騒ぎしながら漫才をやっている姿にグッときてしまった。

ところで、擁護と批判の間に無数のグラデーションがあるはずなのに、簡単に白か黒かを決めてしまうのはあまりに乱暴で、もうずっとそんな乱暴さにうんざりしている気がする。太田光という人間はいつだって「分断だけは絶対にダメ」、一貫してそのことだけを訴えて続けていて、それを訴えるためなら立場も思想もイデオロギーも関係ないのだ。そしてすべての加害者が社会、ひいては自分と地続きであると。「彼女がされたことって、わたしたちがされたことじゃない」とは坂元裕二「スイッチ」の言葉だが、逆もしかりで「加害者がやったことは自分がやるかもしれなかったこと」なのだ。そのことをあらゆる言葉を尽くして語り続ける真摯さに、少なくとも自分は背筋を正され続けている。

8/1だけど、M-1の1回戦を通過できて、いっちょまえにうれしいというよりホッとした。みんな、ほかの人とのネタ被りってどう対処してるんだろう。

7月もっとも好きなあるあるは「海の家のラーメン、ワカメで付加価値出そうとしてくる」でした。

2021年6月の記録

2年近く前に生活の記録的なものを毎週更新すると心に決めて、絵にかいたような三日坊主で終わってしまった。月に1回ならなんとか続けられるだろうとたかをくくって再開します。

6月のメインイベントはなんと言っても、「囲碁将棋の『情熱スリーポイント対抗試合』一試合目~エースシューターの襲来~」。恐れ多くも“エースシューター”としてイベントに参加させていただきました。2010年にAGE AGEの配信でかの有名な代表作「隣の女子大生」を見て以来、僕はもうずっと囲碁将棋原理主義者なのである。囲碁将棋がこの世の漫才師で一番偉い。気づいたらそんな人たちと舞台のうえで普通にしゃべっていて、流石に胸がいっぱいになってしまった。イベントはふつおたのコーナーが全員面白くてとんでもなかった。ふつおたは、アルピーANNの家族以来のとんでも長文コーナーだと思う。
どうにも熱が冷めやらず、THE MANZAI2011の囲碁将棋のネタが見たくて300枚近くあるダビングしたDVDの山から見つけて見たりした。今見ても古びることなく超面白い。全やり取りが“囲碁将棋的”としか形容できないようなフレーズや言い回しに満ちていてたまらないのだ。「お前がチャゲといるときは俺がいない」のくだり最高。ネタの種類の豊富さこそが囲碁将棋のすさまじさだと思っていたけど、近年は「どんなネタをやっても自分達のものにしてしまう、独自の文法の揺るがなさこそが囲碁将棋だ!!」と思っている。(ちなみに同じDVDにR-1 2012も入っていてついつい見たら「チュートリアル徳井が優勝だろ!」と9年ぶりに思ってしまった。パンティーのネタ大好き)

POISON GIRL BAND囲碁将棋という東京吉本不世出の漫才コンビ2組による対談動画も胸が熱くなる。ポイズンのドカベン、本当に大好きなのでどうにかしてまた見れないものか。


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クイックジャパン爆笑問題特集は本当によかった。このタイミングで爆笑問題を特集するのも、「偉大なる未熟者」というキャッチも素晴らしい。爆チュー問題がコントの原体験で、小学生の頃はバク天、深夜番組を覚えた頃に検索ちゃんで、その後は爆笑問題カーボーイ爆笑問題の番組とともに成長してきた1990年代中盤生まれが自分以外にもたくさんいるはず。ウーチャカのソロインタビューは新しい情報がびっくりするくらい何もなくてそれもまたよかった。
「はなつまみ」の志らくゲスト回は上半期のバラエティイチの面白さ。攻めも受けも一流の、これぞ話芸エンタテインメントだ。最後のエンタメ論からイタコ芸につながるところしびれてしまう。
座王でのトレンディエンジェルたかしの「ワンワンニャンニャン」、マヂカルクリエイターズ最終回、テレビ千鳥のバイキングも最高だった。


「大豆田とわ子と三人の元夫」「コントがはじまる」「今ここにある危機とぼくの好感度について」と3つのドラマが終わってしまった。何かを習慣付けることが絶望的に苦手なのでワンクールに3本見るなんて土台無理な話だと思っていたのだけど、「欲求のはずが義務に変わり」状態に陥りそうになりながらも何とか最後まで完走できた。「大豆田とわ子と三人の元夫」は、始まる前に「それでも、生きてゆく」「最高の離婚」を見返していたせいもあってか、“話の軸のなさ”のようなものに戸惑っていのだけれど、慎森の「君は働いて恋をする人なんだから。働く君と恋をする君は別の人じゃない」というセリフですべての靄が晴れた気がした。恋も仕事も友人の死も、すべての過去と現在を平等に描いた作品だった。

GARNET CROWストリーミング配信解禁の報がうれしい。物心ついて初めて好きになったバンドなので、(ストリーミングサイトで見る後期のアー写やジャケ写にウっとなりながらも)インディーズ盤とメジャー1stは無条件で大好きだ。特に「A crown」の歌詞の筆致がとても好きで、おそらく影響を受けてないと思いながらも、この曲以外にもAzuki七の歌詞には小沢健二の匂いを感じずにいられない。
BoyishのEPが大好きで、何度も聴いては現実とベッドルームのその先で揺れている。HANDOSMEBOY TECHNIQUEとオリヴィア・ロドリゴのアルバムもすごくいい。
なつやすみバンドのニューアルバム発売は、もうとにかくうれしい。ずっと音源も出していないしライブもしていないしで寂しく思っていたところに、某イベントで見たら「全部忘れるなよって」の力強いユニゾンで泣きそうになってしまった。しかも新譜は「TNB!」から「サマーゾンビ―」の頃のようなアルバムだなんて、「うれしすぎて2回も抱きしめちゃうんだよ」という感じだ。


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6月は何故か東海林さだおの食べ物エッセイをやたら読んでいた。食べ物のことしか書いていないのに猛烈に面白い。福神漬けのなた豆(ひょうたんみたいなアレ)をいじくり倒している章があって、水ダウの20年先を行っていた。
夏が来たらまたドラマ「すいか」を観ないといけないので、それにそなえて木皿泉の「二度寝で番茶」を読んだ。あんなにやさしく、さりげない手つきで呪いのようなものをほどいていく物語を書く2人の人間性は、その実とてもパンクでハードコア。特に血縁の絶対性に対してハッキリNOを示す姿勢が印象的で、木皿泉田島列島は深いところで共鳴しているのだなと思った。
西東三鬼の「神戸・続神戸」。戦時中の神戸に息づいていた営みの、リアルとフィクショナルを行ったり来たりする描写が鮮やかだ。
遅ればせながら読んだ増村十七「バクちゃん」は、寓話が存在する意義そのもののような作品だった。

 
アニメ「オッドタクシー」は夢中になって一気に見てしまった(この先ネタバレあり)。それはもうべらぼうに面白かったのだけど、「なんで小戸川視点のシーン以外も動物になってんねん」というツッコミをどうしても押さえられない。いわゆる信頼できない語り手とはまったくもって違うので。
台湾熱が高まっているのでチェン・​ユーシュン「1秒先の彼女」を観た。ところどころ演出がしんどいのだけど、構成や物語の運び方の大胆さは嫌いじゃなかった。「アメリカン・ユートピア」のすごさは言葉がいらない。なんでみんなおとなしく座って見てられるのか不思議で仕方なかった。
そしてそれらすべてをぶっ飛ばす「映画大好きポンポさん」。もう今年見た映像作品でぶっちぎりNo.1だ。(以下、某所に書いた軽レビュー)

作中見る / 見られるという動作が山ほど出てくるこの映画。とりわけ印象的なのはジーンがナタリーをバスから見た時の、大袈裟なまでに演出された場面だろう。しかし彼は、一度ナタリーと工事現場で遭遇していることを忘れている。そう、僕らはいくつもの出来事や記憶を切り捨て、忘れながら生きているのだ。まるで映画監督が不要な場面を編集でカットするかのように。
しかしジーンは、まるで自分が見た全てを忘れまいとあらがうかのように、ひたすらにノートをとり続ける。雨に濡れて一度失ったノートの中身を再現してまで。そして、そんな切り捨てられ忘れられた記憶や出来事を一瞬照らすのが映画であり、アリアであり、つまりは表現だ。それらをアニメーション映画ならではの快楽の中で見せてしまうことの素晴らしさ。
編集作業をアクション映画さながらの迫力で見せてしまうクライマックスも、「上映時間が90分なところですかね」でフィクションと現実をないまぜにしてしまうラストも、痺れるくらい最高。


6月もっとも好きなあるあるは「ちまきを縛ってるヒモ、結んだまま外す」でした。

藤岡拓太郎「大丈夫マン」

いきなりだけど、以前Twitterに存在した「餃子丼」という底抜けに明るい一般女性のツイートが当時とても好きで、その方が「知らない人が撮った、自分がたまたま映り込んでしまった写真を集めたい」というようなことをつぶやいていて、とても感動してしまったことを今でも覚えている。この世には、認識すらせずに自分がたまたま映り込んでしまった写真が無数に存在するのだ。と同時に、自分が撮った写真にも見知らぬ誰かが映り込んでいることに気付く。誰かの人生の中で自分は脇役でしかなく、しかし知らない誰かの写真にたまたま映り込んでしまうような、認識すらされないほんの少しの関わりで世界は作られている。

そのつぶやきの数日後、藤岡拓太郎がある1P漫画を投稿したのだけど、当時自分の中でそのつぶやきと漫画が強烈につながってしまった。その1P漫画が「キャベツだけ買った人」である。

なぜか定点で撮影されたカメラにたまたま映り込んでしまった、見知らぬ男の何気なくも少し奇妙な瞬間。この世には、人知れず起きている不思議なことがたくさんあって、僕らはそれを認識すらできない。しかし、藤岡拓太郎作品は恐るべき神の視点でそれを可能にしてしまうのだ。そしてそれこそが藤岡拓太郎という漫画家の作家性の1つなのだと思う。2017年から2020年に描かれた1P漫画を収録した作品「大丈夫マン」を読んで、そんなことを感じた。 

大丈夫マン 藤岡拓太郎作品集

大丈夫マン 藤岡拓太郎作品集

  • 作者:藤岡 拓太郎
  • 発売日: 2021/01/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 


そんなフィーリングをもっともストレートに反映した作品が、大傑作「わたし」や「18才」だろう。 本編が「授業中、こっそり掃除ロッカーに入ってみた先生」で幕を開けることにも注目したい。自分が気付いていないだけで、隣にいる彼や彼女はこっそり掃除ロッカーに入ってみたり、アホみたいな格好で宅配便を受け取ったり、架空の一ノ瀬くんと会話したりしているかもしれない。そのことが、私たちにほんの少しの不安とときめきを与える。自分が見落としているだけで、すぐ近くにはこんなにも不思議で豊かな世界が存在しているのだ。まるで電子レンジに入れっぱなしで忘れられているかぼちゃのように。「酢飯の夜」「夏祭り」「夜」「美しい夜」「深夜0時」の世界のような、“それぞれの夜”が今もこの世界のどこかで営まれているかもしれない。(自分は数ある作品の中で「夏祭り」が群を抜いて好きなのだけど、これについては青春ゾンビのヒコさんの評が素晴らしすぎるので割愛します)

 

前作「夏がとまらない」までの2コマという制約を取り払ったことで作品は深みを増していて、まとめて読むことでその詩情や文学性を強く感じてしまうのだけど、もちろん藤岡拓太郎作品のベースにあるのはナンセンスでキレのある“ギャグ”だ。個人的には「夏が来ます」が大好きで、オチでストレートなやりとりが不意に差し込まれる瞬間がとんでもなく心地いい。そして、服を交換したがるおじさんがあくまで“脇役”にしかなっていないという、そのズラシがたまらなく面白く、かつ藤岡拓太郎の本質がそこに宿っているような気がする。

藤岡拓太郎の作る笑いについて、彼の表現はまぎれもなく“ギャグ漫画”であるからして、吉田戦車うすた京介和田ラヂオおおひなたごうといった希代の作家と並べて語るのが適切だと思うのだけど、自分は思い切って松本人志と接続してみたい。普通の日常とは違う“不条理”としか呼びようがない世界なのだけど、その肌触りは決して無機質なんかではない。不条理だからこそ浮かび上がってくる哀愁やペーソスといった情緒は、「トカゲのおっさん」に代表される「ごっつええ感じ」の諸作品のようではないか。本書の収録作をもとに書かれた「大丈夫マンの歌」の歌詞、その言葉の連なりはまるであの大名曲「ああエキセントリック少年ボウイ」だ。

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最後にもう1つだけ、藤岡拓太郎的だなと思うコントを。「じじい、ばばあをチャリに乗せる」、とってもいいタイトルだ。ルックスもどことなく藤岡拓太郎漫画に出てきそう。

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藤岡拓太郎を間に挟んだ三段論法を用いると、モダンタイムス≒松本人志という一見とんでもない式が成り立ってしまう。しかし、松本人志のコントに尼崎で過ごした頃の心象風景が色濃く反映されていること、モダンタイムスのコントが彼らと縁深い蒲田が舞台になっていることを考えると、あまり乱暴なことは言えないが、そう不自然な式でもないような気がしてくる(自分が初めてこのコントを見たのは2018年のキングオブコント準決勝で、その時は「蒲田の夫婦」的なタイトルだったような気がする。ちょっとうろ覚えだけど)。この世界中、どんな場所でも“それぞれの夜”が営まれているのだ。

田島列島「水は海に向かって流れる」

 

田島列島久々の連載作品「水は海に向かって流れる」は、前作「子供はわかってあげない」に勝るとも劣らない大傑作でした。前作は、作品を貫く哲学に損なわれないような圧倒的な瑞々しさがたまらなかったのだけど、今作ではその瑞々しさと引き換えに、とても苦くシビアな空気が全体を覆っている。しかし、それを繊細な手ほどきで柔らかく心地いい会話劇に落とし込んでしまう筆致こそが本作の特別さに他ならないだろう。BRUTUSの漫画特集でスカート澤部氏も語っているように、田島列島の作品はとにかく余白が素晴らしいのだ。最低限の会話さえあれば、あとはコマ割りと無言の顔の目線だけですべてを語ってしまえる。そんな稀有な才能の持ち主だと思う。あだち充田島列島か、だ(1巻で直達が榊さんの買い出しの荷物を“半分持つ”シーン、めちゃくちゃあだちっぽい)。とにかく、1つ1つのセリフやコマから溢れ出てくる感情を、見逃さないように目を凝らして夢中になって読んでしまった。

本作のあらすじを乱暴にまとめるならば、「W不倫の関係にあった父と母を持つ、高校生の直達と26歳OL榊さんの“年の差訳ありボーイミーツガール”」だ。田島列島という作家は、家族や夫婦というつながりの脆さに常にオブセッションを抱いているような気がする。「子供はわかってあげない」や短編集「ごあいさつ」に収録されているいくつかの作品ににじみ出ていたそのフィーリングが、本作では「親族の基本構造」なんてものまで引き合いに出して中心に据えられる。
そして、この作品で重要なのが3巻通して用いられる「水」というモチーフ。物語の大切なシーンの多くが川沿いの土手や土砂降りの雨の中で起き、「シャツはしっとりかん」なんてはっぴぃえんど「相合傘」のオマージュらしき言葉も飛び出す。登場人物の名前に熊沢、泉谷、成瀬、宇多川、藤浪…と水辺にまつわる文字が冠されているのも偶然ではないはず。表紙に目を向けてみれば、1巻では雨、2巻では川、3巻では海が描かれていて、それがこの物語を端的に象徴しているような気がする。当然のことなのだけど、降った雨は川となり、それが海へと続いていくのだ。しかし、この作品の主人公の1人である榊さんはそんな自然の摂理にあらがうように、自らの時間と共に川の流れをせき止めようとする。時間を動かそうと1人躍起になっている教授が「何してんの?川下り?」なんて聞いたりするけれど、なかなか川は海へと流れ出さない。そんな川の流れを動かすのが、誰あろうもう1人の主人公である直達くんだ。榊さんの母に「怒りたい」と涙を流す、その瞬間ゆっくりと川は海へと流れ出す。

そして最終巻、2人は過去の傷と真摯に向き合いながら、ゆっくりとその呪いをほどいていく。拭い去ることのできない罪の意識を抱えながら、決して結ばれてはいけない(と感じている)2人がロマンスに落ちていく様子には、どうしたって「それでも、生きてゆく」の深見洋貴と遠山双葉の影を重ねてしまう。

最終巻での、これまでのシーンを反復させる美しさ。かつてミスタームーンライトへ向けられた「君は幸せになるよ」という言葉は、時間を経て直達へと届けられる。直達が寝たフリをしているところまで丁寧にトレースされて。1度きり行われた相合傘を段ボールで再現したかと思えば、大事な告白への返事はまさかのニゲミチ先生の「ぐう」だ。教授は「恋愛脳を獲得するまで帰れないよねぇ」と言うけれど、帰ってきているその時点で榊さんはきっと頭の冷えてない恋愛脳の色キチになっていたのでしょう*1。泉谷さんの「…帰ってこないと思ったのに」という言葉、直達は自分に向けられたと思っているけど、榊さんへも向けられているんじゃないかと思う。数ページ前の「私がまだ熊沢くんのこと好きだと思ってるのかもしれない 自分の気持ち隠してすっとぼけんのあの人常習じゃん」という言葉と照らし合わせると、泉谷さんはまだ直達のことを…なんてのは野暮な推測ですね、すみません*2

とにもかくにも、過去の傷にこんがらがりながら、行ったり来たり蛇行をくりかえしながらも、1つのカボチャをきっかけに2人の時間は再び動き出す。物語の大事な最終局面を何の変哲もないカボチャに託してしまうのが、田島先生らしくて最高じゃないですか。ニゲミチ先生譲りの「ぐう」ではぐらかされた直達は、1人ベランダから川を見つめる。そしてページをめくった瞬間、飛び込んでくるあの言葉。

 最高の人生にしようぜ 

川の流れる音と共に、止まっていた時間の流れる音が聞こえ出す。

*1:グラサンに変てこな柄シャツでパンツルックの榊さん、ずるいくらい完璧ですね。

*2:泉谷さんも絶対最高の人生にしようぜ。