思うことはいつも

生活していて感じたことや触れたもの

2021年7月の記録

何かを好きになる感情っていうのは言葉にしてちゃんと伝えないと、心が麻痺してしまうらしい。つまり、好きなものがあるのに長い間誰にもずっと言えないでいると、心が「感動する必要性がない」と感じて、何かを好きって感じることすらやめてしまうんだって。怖い言い方しちゃうけど、好きが死んでしまうんだって。
「お耳に合いましたら。」第1話。

何故自分がこうしてこんなブログを書くのか、その答えをまさか吉田照美に教えてもらうとは。「お耳に合いましたら。」はそんな「好き」に溢れてて(これ見よがしな熊倉献「ブランクスペース」とか空気階段「anna」とかむず痒いところもあるのだけど)、とても愛おしくて面白い。1話、2話、3話と、徐々に介入していく''他者''の範囲が広がっていくのがとてもいい。とりわけ壁越しの隣人との交流を描いた3話が好きで、手土産として買った蕎麦に背中を押されるという脚本のスマートさに惹かれる。すっかり毎週の癒しになっております。

temp.というタイのバンドのアルバム「HIBISCUS」がとてもよくて夏に合うのでずっと聴いている。ホーンの音が心地いい。


Faye Websterのアルバムはもう普通に大好物。インディフォークの穏やかな海にカーディガンズの絵の具を一滴垂らしたら、みたいな。そんな感じ。
5月にライブで聴いたxiexieの新曲が配信されていて、これがまた素晴らしい。今ここまで真正面からいいメロディのインディーロックを鳴らせるバンドがいるなんて。もっと話題になっていいバンドだと思う。5月にSaToAとのツーマンを企画した人の慧眼よ。


 そんなSaToAの新曲「勇敢な君へ」は1stからここに辿り着くまでのグラデーションがとても綺麗で、その年代ごとの女性3人のリアルがキャプチャされているようでグッとくる。初期のあの無鉄砲さこそないものの、相変わらず構成や細かい展開が狂ってて、ありきたりなポップスに回収されない強さがある。しかもそれらさえもキュートに響かせてしまうのがSaToAの魅力だ。


ネバヤン安部勇磨のアルバム「ファンタジア」はバンドの何倍も好きかもしれない。細野晴臣的でありながら、どことなく坂本慎太郎の空気感もある。「素敵な文化」の、ナンセンスさすら感じさせる脱臼感と''本当のこと''を行ったり来たりするリリックがとても好き。
グソクムズの新曲「すべからく通り雨」もとてもよくて、やっぱり数多いるはっぴぃえんどフォロワーの1組にしてしまうのは惜しい存在だよなあと思う。日本語の響きもビートルズビーチボーイズの間を行くようなコーラスワークも素晴らしい。
サラダというバンドの名盤「20の頃の話」に収録されている「暑くてとけそうな日だった」は大名曲なのでみんな聴くように。



「映画:フィッシュマンズ」は予想以上に席の埋まりが早くてなかなか行けなかったけど、なんとかアップリンク吉祥寺の最前列で首を痛めながら観ることができた。正直、佐藤伸治が亡くなってからのフィッシュマンズはあまり追うことができていなくて、だからこそ最後の茂木さんの言葉が胸に刺さった。映画を見て「そうか『IN THE FLIGHT』は活動10周年のときに作られたのか」と今更思った。この曲の「僕はいつまでも何もできないだろう」という言葉の優しさにずっと勇気づけられている。

島泰三の「自由意志の向こう側」という本をちびちび読んでいたら、そんなさなかに藤本タツキの「ルックバック」が公開された。芸術が持つ力への熱烈な信奉やそこに発生する業のようなものを、肯定的な決定論の中で描いてしまう。その肯定的な眼差しは他でもない自分の背中に向けられてるんじゃないかと思ったりした。
「Sonny Boy」は楽曲製作陣に惹かれて観ているけど、今のところあんまり乗れていない。90年代っぽいというハイパーウルトラ雑な感想が1個目に出てきてしまう。

夏なのであだち充をひたすら読み返す。改めて「タッチ」は1億部売れたことが信じられない。いや、こんなに徹底的に''身近な人の死の呪縛''を描いておきながら、ちゃんと売れるような作品にしてしまうのがあだち充という作家の凄さであり偉大なところなのだけど。 あの有名な告白シーンの主語が「僕」でも「俺」でもなくて「上杉達也」であることにどれだけの意味が込められてるか。
最近人に会うたびにあだち充の話をしてるのだけど、やっぱりあだちって上手すぎて上手さが伝わりきってないのでは?と思ってしまう。例えば「クロスゲーム」の「青葉ちゃんには伝えてあげて。本当のことを」というあまりに大事なセリフを、全く違う文脈で出してしまうのがあだち充なのだ。そしてそれをコマ割りだけでさりげなく際立たせるのがあだち充の巧みなところ。
クロスゲーム」はあだちが「タッチ」で描けなかった「死者からの赦し」を描いてるという視点で読むとめちゃくちゃ面白いし重要な作品だと思う。それを象徴するのがあかねと柏葉というキャラクターの正反対さだ。あかねの体を借りて言葉を伝える若葉と、コウの体を借りてマウンドに立つ青葉の共時性みたいなのもかなり冴えてる。ただ登場人物と試合の魅力がH2の100分の1くらいしかないのが惜しいところ。というかH2は、何回読んでもおもろすぎ。

ABCお笑いグランプリは、カベポスターの1本目が圧倒的に好きだった。システムと展開の美しさよ。話の運びがまるで麻耶雄嵩の「さよなら神様」のようで、たまらなくワクワクしてしまった。「さよなら神様」に収録されている「バレンタイン昔語り」は傑作です。
全日本コントファンクラブは東日本も西日本も最高で、東日本の滝音でただただゲラゲラ笑ってしまった(西日本のネタはイシバシハザマのおかしな話を思い出した)。ななまがりの、コントの構造に挑戦的なネタは毎回感動してしまう。ロングコートダディがとんでもなくシンプルな形になっていて、2本とも超面白かった。

霜降り明星オールナイトニッポン粗品欠席回はもうひたすら楽しかったです。いつもこういう事件的な回に一切お茶を濁すことなく''お笑い''をやってしまう、その体力に感銘を受ける。タケシのシチュー、行きたかった。
「夜衝」も予定があって断念したのにその予定がなくなって、なんか虚しかったので配信見ます。

オリンピック開会式の真っ最中にサウナに入ったら、テレビで普通にベストワンが流れてて嬉しかった。「誰も見てないだろうお笑い番組が一番面白い」なんてスノッブな楽しみ方をしてしまう。ちなみに「誰も見てないだろうお笑い番組が一番面白い」という感覚は、27時間テレビの真裏でやってたクイズ⭐︎タレント名鑑の「そっくりさん10人11脚」に教わりました。藤井健太郎ワークスで一番好き。
ベストワンはなんと言っても爆笑問題カーボーイでの80分にわたる1人語りの数日後にバカ騒ぎしながら漫才をやっている姿にグッときてしまった。

ところで、擁護と批判の間に無数のグラデーションがあるはずなのに、簡単に白か黒かを決めてしまうのはあまりに乱暴で、もうずっとそんな乱暴さにうんざりしている気がする。太田光という人間はいつだって「分断だけは絶対にダメ」、一貫してそのことだけを訴えて続けていて、それを訴えるためなら立場も思想もイデオロギーも関係ないのだ。そしてすべての加害者が社会、ひいては自分と地続きであると。「彼女がされたことって、わたしたちがされたことじゃない」とは坂元裕二「スイッチ」の言葉だが、逆もしかりで「加害者がやったことは自分がやるかもしれなかったこと」なのだ。そのことをあらゆる言葉を尽くして語り続ける真摯さに、少なくとも自分は背筋を正され続けている。

8/1だけど、M-1の1回戦を通過できて、いっちょまえにうれしいというよりホッとした。みんな、ほかの人とのネタ被りってどう対処してるんだろう。

7月もっとも好きなあるあるは「海の家のラーメン、ワカメで付加価値出そうとしてくる」でした。