思うことはいつも

生活していて感じたことや触れたもの

2022年1月の記録

濱口竜介の「偶然と想像」を3回も観てしまった。なんで年内に観なかったんだろう。もう、とにもかくにも脚本のすごさに打ちのめされてしまった。例えば1話冒頭のたわいもない恋バナだけでも永遠に聞いてらるような面白さがあるし、その後の古川琴音と中島歩のやりとりはゾクゾクするほど魅力的。それでいて、2話と3話のようなとんでもないうねりを持ったプロットまで用意されているのだから、もうお手上げだ。
しかし、それだけではないこの映画の何かが自分のことを惹きつけていて、その正体がなんなのか1回目ではわからなかったのだけど、「PASSION」と「偶然と想像」を立て続けに観てなんとなくわかった気がした。自分は、徹底して“言葉”が負け続ける「PASSION」という映画が本当に許せなかったんだな。教室での真摯な訴えも、ゲームの力を借りて無理やり暴きあった本心も、ひたむきな愛の告白も、すべてちゃぶ台を返したかのように無に帰してしまうあの映画のことが。「PASSION」を観たあとに「偶然と想像」を観たら、濱口竜介の“言葉”というものへの態度の変化がとても浮き彫りに表れているように思えた。「偶然と想像」には、“言葉”というものに、もう少し限定的な言い方をするならば“対話”というものに、希望を託すような態度をどうしたって感じてしまう(それは「ドライブ・マイ・カー」だってそうなのだけど)。エチュードのような架空の対話を通してゆっくりと心がほどかれる3話がとりわけ素晴らしく、今の濱口竜介にとっての“映画”ってこういうことなんじゃないかと思った。

あとは「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」「ユンヒへ」「春原さんのうた」「フレンチ・ディスパッチ」などを観た。去年シアター・イメージフォーラムで見逃したケリー・ライカートの「リバー・オブ・グラス」を早稲田松竹で観れたのがうれしい。

今期のドラマも1話をいくつか観たのだけど、「偶然と想像」のせいで不感症になっているのか、持続的に観れそうなものが見当たらなかった。主演2人に惹かれて観た「恋せぬふたり」とか、テーマのためのセリフしかなくてびっくりしてしまった。
あとは山田尚子×吉田玲子×高野文子という座組みに惹かれてアニメ「平家物語」を観ている。

今年の笑い初めフットンダで観たジェラードン(海野さん不在)の「赤ちゃんショー」でした。「この時間に生放送でこのネタを見ているという事実が面白い」という感覚を久々に味わった気がする。
座王」の正月スペシャルはメンチ対決がとにかく最高だった。

「ダイヤモンドno寄席」「マヂカルラブリーno寄席」「粗品に買ったら10万円」など話題の配信をいくつか観た。でも一番は、やっぱり座・高円寺2で観た「サラリーマン川西の冬のボーナス50万円争奪ライブ」。前回に引き続き圧倒的な熱量で、誇張抜きで本当に全組面白い。ハゲネタなしでも綺麗な構成&脇田さんのキャラクターで爆笑をかっさらうシシガシラに、完全に脂が乗りきってるパンプキンポテトフライ。久々に観た街裏ぴんく「床穴」の迫力は完全に50万を取りに来た人のそれで、圧倒されてしまった。しかしなんと言っても、圧巻だったのは優勝したダウ90000のコント「バーカウンター」。そのタイトルは何度か耳にしていたのだけど、噂に違わぬハイクオリティなコントでした。日常のあるある的な切り口から、あれよあれよとワクワクする展開を見せてくれる。8人ならではのビジュアル的な面白さもあり、“会話劇”というダウ90000のパブリックイメージを覆すような“コント”としての求心力に満ち溢れていた。本公演にあれだけ魅了されながらも、短尺のコントについては帯に短し〜感を感じて、「あの子の自転車」をことごとくスルーしていたこと、深く恥じます。

ダウ90000第3回本公演「ずっと正月」ももちろん素晴らしかった。舞台設定とセットの構造が見事で、知り合うはずのなかった人たちが、1つの場所でガラスを隔たりしながら交わり合う様に胸を打たれてしまう。終わってからずっと、ホフディランの「恋はいつも幻のように」を聴いていた。すべてのぼんくら男子どもの恋は、いつだってホフディラン「恋はいつも幻のように」とピーズ「好きなコはできた」とともにあるのだ。


帰りに新宿の人気店でスパイスカレーを食べたら、あまりのスパイス感のなさに自分の舌が消えたかと思った。

なんとなく、本当になんとなく急に観たくなり、2008年にBSジャパン・テレ東で放送されていた番組「とにかく金がないTV」のDVDを買う。面白い。切り口と、地道なリサーチで面白い事象をつぎつぎ炙り出していく番組運び、ナレーションに込められた“悪意”など、なんとなくこのテイストは水曜日のダウンタウンに受け継がれているのではと思った。

オークラ氏の自伝「自意識とコメディの日々」はそれなりに楽しく読んだ。

囲碁将棋の情熱スリーポイント」の「イオンモールに入っている内科は幼稚」という話がたまらなく面白い。同じ景色を見ていても、2人の脳にはまったく違うように届いているのだなあ。#63の12:30から聴けるのでおすすめです。

Netflixで配信されている「アジズ・アンサリのナイトクラブのコメディアン」は必見です。

cero「WORLD RECORD」「My Lost City」と、ayU tokiO「新たなる解」という思い入れのあるアルバムのアナログ盤を入手できてとてもうれしい。どれだけ音楽的な進化を遂げても、僕は「あののか」が一番好きなのだ。

ひとりで過ごす昼間は 静かな顔で暮らしてる
不安なくらい自由さ ぼくら
立ち止まって呼吸をすれば どこまでも
のぼっていってしまいそうね
はたと気づく

郊外で暮らす無数の人が感じているであろう言葉になるはずのない感覚が、言葉として、音として、声として完璧に形になっていて、初めて聴いたときに本当に感動してしまった。

「新たなる解」は1曲目の「恋する団地(2016 ver)」がとにかく素晴らしいのだ。再生した瞬間流れる、ブライアン・ウィルソンも真っ青の美しすぎるコーラスワークに、豪華絢爛なホーン。躍動的なリズムとメロディに、ほんのりファンキーなギターが添えられる。こういう曲と出会うためにポップミュージックを聴いているのだと思わせられる。そしてayU tokiOは天才的なコンポーザーであると同時に、とても優秀な抒情詩人なのであると、「犬にしても」の「咲いてばかりでない 枯れてばかりでない」という言葉を聴くたび思い出す。

カネコアヤノとbetcover!!のツーマンをWWW Xに観に行ったら整理番号11番でまさかの最前列センターマイクど真ん前。とんでもない至近距離でカネコアヤノを観るのは言うまでもなく良い体験だったのだけど、それ以上にbetcover!!のライブに圧倒されてしまった。各曲ごとをシームレスにつないだアンコールなしの構成も、最高にストイックで痺れました。

kiss the gambler×ayU tokiO×屋敷のスリーマンを、晴れたら空に豆まいてで観る。昨年出したアルバム「黙想」を聴いて以来妙に気になる存在だったkiss the gamblerを生で見れて嬉しい。アルバムに収録されている「Fresh」「サマーサンライズ」「コンクリの家と砂の家」は才気が迸っているのだけど、同時に普遍性なんてものも宿っていて、近い将来NHKとかCMで彼女の曲が流れていても何ら不思議じゃない。
BASEMENTBARで観たシャンモニカのライブはギターがとにかくいい。そういえば「トゲトゲぽっぷ」の収録曲が、水ダウでひっそり使われていた。

宇多田ヒカル「BADモード」を聴いて、人生で初めて0.000001%だけ「子供がほしい」という気持ちが芽生えた。元昆虫キッズ・高橋翔のソロ曲はとんでもなくグッときますね。

東京駅近くのインデアンカレーでお昼を食べていたら、Homecomingsの新曲が流れてきた。こんなふうに生活の中で不意に出会うのにぴったりの音楽だ。福富さんの愛読書だというスチュアート・ダイベック「シカゴ育ち」を読んで、知らない街の知らない景色ってなんでこんなに素晴らしいんだろうと改めて思った。

1月でもっとも好きなあるあるは「持ち手を立たせたときにだけ、箱から覗くケーキの苺」でした。