思うことはいつも

生活していて感じたことや触れたもの

2025年12月の記録

12/1(月)
ストレンジャーシングス」シーズン5の前半4話をようやく観終わる。ちょっと面白すぎるかもしれない。ここに来てちゃんと過去イチ熱い展開を持ってこれるの、シリーズ作品としての強度がすごすぎる。興奮のあまりストレンジャーシングスを観てるであろう中学からの友達にLINEをしてしまい、後編を一緒に観ることになった。中学からの友達と「ストレンジャーシングス」の終わりを見届けられるの、とても幸せなことなのでは。
ちびちび読んでいた山口祐加さんの「世界自炊紀行」を読み終わった。毎日の料理にやたらエネルギーを注いでしまう自分としては、いろいろ考えさせられる本だった。毎日の料理はプレッシャーでも生活の障壁でもあり、同時に大袈裟じゃなく生きがいでもあるから難しい。僕もハンバーグに玉ねぎを入れず、酒蒸しできるようになりたい。

12/3(木)
「平場の月」を観た。平日の午前中だからさすがに大丈夫だろうと余裕をぶっこいていたら、最前列2席しか空いていない。そんなに人気なの!?と思ったけれど、可視化されづらい“ニュートラルな映画好き”はきっと世の中にたくさんいるのだなと思わされる。それにしてもかなりの良作で、観れてよかった。「花束みたいな恋をした」や「片思い世界」の何倍も好きだ。月というモチーフの扱いはややストレートだなと思ったけれど、朝霞という街でのしみたれたロマンスと、それを紡ぐにふさわしい演技と撮影があればもう十分。チチヤスのミルクコーヒーなんて小物の扱いもとてもよかった。要らなくなったものを売りに国道沿いのハードオフに行き、もらった520円で妻とチチヤスのミルクコヒーを買ったことを思い出す。あれ、想像よりも甘いんですよね。

12/4(木)
妻とM-1準決勝のライブビューイングを観るために1日休みを取った。平日のお昼にしか食べられないものを食べたいなと思い、土日にはとても入れなくなった下北沢の茄子おやじに。きのこカレーおいしい。
その後町田の「ことばらんど」でやっている曽我部恵一展を観に行く。手書きのノートがたくさん公開してあって、ボツになったであろうフレーズなどもたくさん見れた。「セツナ」が音源化された歌詞と全然違くて、ものすごい狂気をまとっていたのが印象的。町田はめったに降り立たないのだけど、やたら高低差がある地形をはじめ、駅前のカオスさにクラクラしてしまう。
その後新百合ヶ丘へと移動。降り立った瞬間に感じるこの安心感、なんなんだろう。郊外で生まれ育ったということが自分にとって大きなアイデンティティになっているのを、昨日の「平場の月」を含めてここ最近すごく感じる。
準決勝は順当に真空ジェシカとエバースが頭抜けていた。みんながあの手この手で会場を沸かせようとしてる中、1組だけステゴロで戦っている黒帯が僕はとても好きだ。あとは豆鉄砲は本当にずっとすごいことをしている。

12/7(日)
昼ごはんにスーパーで買ったアラビアン焼きそばを10年以上ぶりに食べた。食べたことない妻に「カレー味?」と聞かれて笑ったけれど、確かにこのパッケージでカレー味じゃないほうが不思議だ。アラビアン焼きそばって、いったいどれぐらい知名度があるのだろうか。昼に焼きそばを食べるときは、なぜか無性に冷やご飯が欲しくなる。これはきっと子供の頃に、前日の残りの冷やご飯を焼きそばと一緒に食べてたからだ。日曜の昼に焼きそばを食べるときは、決まっていつも「ウチくる!?」が流れてた。
高円寺で「全日本アマチュア芸人No.1決定戦」を観て、その後友人と3人で魚の四文屋に行った。刺し盛り5種を3人分頼もうとしたら店員さんに訝しげな眼差しを向けられ、最終的に上の店員さんが出てきて焦る。どうやら刺し盛り1つに5種類×5切れあるらしく、3人だったら1つで十分らしい。あそこで訝しんでくれてなかったら、75切れ来るとこだった。

12/8(月)
初めて家でコロッケを作った。家で作るコロッケってこんなに美味しいのか。1人あたり2つ作ったのだけど、タネをまとめる段階の土壇場で1つをカレー味にしてみた。正解だった。そういえば「ひらやすみ」でもそんなようなシーンがあったな。2つ作るなら1つは味、変えたいですよね。
豆苗を買うと苗を水に浸してもう一度育ててしまうのだけど、数日前から浸してる苗が全然伸びていないことに気付く。完全に窓に立てかけたアドベントカレンダーが日差しを遮っているせいだ。アドベントカレンダーは毎年KALDIで買うのだけれど、常に2、3日分をまとめて開けて食べている。

12/10(水)
カメラがほしいなとずっと思っていて、いろいろ迷った挙句LUMIXのDC-TZ99を買うことを決意。柏のカメラのキタムラに中古の美品が置いてあるとのことなので買いに行く。ちょっと試してみた感じ、要るかなあと思っていた光学30倍ズームがめちゃくちゃ最高なのではと思い直す。撮れるはずのないものが撮れる。
帰りに我孫子に寄り道して、常磐線沿線民のソウルフードである弥生軒(notやよい軒)の唐揚げそばを食べた。学生の頃は絶対うどんにしていたけれど、今はそばを頼んでしまう。その後観た「芸人キャノンボール」も、つまりはそういう番組だった。

12/11(木)
友達と代々木八幡で鍋を食べた。“鍋”は「する」と「食べる」でニュアンスが変わる不思議な食べもの。

12/12(金)
マカロニえんぴつのアルバム「physical mind」が最高すぎて、1日に3回も聴いてしまった。どうしたっていろんなバンドの亡霊を、ついえてしまった夢を、そこに透かし見てしまう。一方で洗練されながら、一方で疲弊しながら、いろんな物を受け入れて大きくなっていく、再開発された下北沢そのものみたいだ。
あとはゴリラ祭ーズの「The Drifter」をよく聴いている。アンチドラマなライフミュージックとしてとにかく上質。1曲目の「日記」が出色の出来と思いきや、いなたさを保ったままセクシーなソウルを奏でる2曲目「今なら言える」もとても良い。
優河のEP「All the words you said」は空間的すぎて驚く。優河の作品はずっと音響が頭抜けていいな。
いろいろ聴いていた勢いでステラ・ドネリーの来日公演のチケットを取った。今年出たアルバムは成熟しているようで成熟しきっていない感じにやきもきしてしまい「だったら躍動的なリズムとジャングリーなギターを聴かせてほしいな〜」という気持ちになったりもしたのだけれど、生で観れるのは楽しみだ。

12/13(土)
カメラを持って近所の川縁まで散歩をした。遠くの鉄塔、古びた耳鼻科の看板、謎に大きな道路標識……これまで目を向けてこなかったいろんなものを再発見できる面白さがある。でもやっぱりズーム性能の高さがとにかく良い。もう1つの目を手に入れたような感覚だ。

12/16(火)
周回遅れで追いかけていた「ひらやすみ」をようやく観終わる。最終回が抜群によかった。この幕引きの切なさと、そこかしこに漂う“Life goes on感”。日常モノの一旦のエンディングとして完璧すぎるのではないか。
その流れで、真造圭伍が推薦していたマンガ「あたらしいともだち かわじろう短編集」を読む。日常の中でふいに訪れる衝動みたいなものが捉えられているのがよかった。「彼ったらもう間に合わないってわかってるのに息切らして走り出す」みたいな感覚を捉えることの素晴らしさ。
夜に友人2人と渋谷でスペイン料理を食べた。1人で食ることがまずないのもあり、たまに3、4人でパエリアを食べに行きたくなる。2軒目にカウンター4席だけのおでん屋に行き冬を感じる。

12/18(木)
福田穂那美さん脱退前最後のHomecomingsのライブを観に行く。3人が3人とも美しく、そして強くて、こんな奇跡みたいなことってあるんだなと思えた。音を、言葉を、更新し続け、アノラックなギターポップを無邪気に鳴らしていた頃とは見違えるように変わったホムカミが、いろんな別れを受け入れながらそれでも続いていくのは、思えば当然なのだよな。そんなことを、ライブを観ながら考えていた。例えばシャムキャッツのように、例えばミツメのように、あっけなく歩みを止めるには、僕らは大人になりすぎた。

12/20(土)
会社の同僚と共通の友人とでお昼を食べる。最近は飲みに行くよりも、お昼を食べてお茶をしたい。明日のM-1の話やらそれぞれの仕事の話やらをして、気付いたら3軒ハシゴしていた。古い喫茶店特有の机の低さは、僕の空間把握能力の低さを浮き彫りにする。
その後妻と丸の内のイルミネーションを見て、家でクリスマスディナーを作った。クリスマスのBGMなんて定番であれば定番であるほどいいので、フィルスペクターとジャクソン5のアルバムを流せば十二分。あとはThe Pearlfishersの「A Sunflower At Christmas」も毎年聴いている。毎年クリスマスシーズンに小ちゃいツリーやら家型のオーナメントを買い足していて、気付いたら部屋に小さな街ができていた。クリスマスにまつわるものは、25日を過ぎた瞬間あっけなく場違いになるから寂しい。街中のイルミネーションも数年前まで25日を過ぎたら消えていたと思うけど、いつの間にか冬の間はやっていいみたいな空気ができてるのってなぜなんでしょう。

12/21(日)
M-1を観る。敗者復活戦は圧倒的にTCクラクションで笑った。ニュアンスでしかないものを断定的に言い切るのってなんでこんなに面白いんだろう。カベポスターのあだ名は何度見ても惚れ惚れする美しさ。豆鉄砲の修学旅行のネタもとても好き。準々決勝の空前メテオも思えば境界の話をしていた。
決勝はもはや言うまでもなく、たくろうの2本目で死ぬほど笑った。M-1決勝という舞台で、何の前情報もなくこんなに笑うのっていつぶりだろうかと痛く興奮してしまった。ハックされたM-1のその先に、こんな未来が待っていただなんて。
ちなみに我が家の今年のM-1ごはんはチュモッパが選ばれました。

12/23(火)
ルカ・グァダニーノの「アフター・ザ・ハント」を配信で観る。現代的なテーマを想像以上に正面から取り扱った作品だった。さすがに編集のうまさでずっと魅せられる。
夜にカネコアヤノの弾き語りライブを浦和で観る。カネコアヤノは弾き語りのほうが好きな可能性すらあるのだよな。kanekoayanoにしかないロマンももちろんあるけれど、「光の方へ」「抱擁」などの歌謡味の強い曲で際立つ歌声の魅力はやっぱり何ものにも代え難い。
ライブ終わり、新宿に移動して中学の友達とびっくりドンキーで会う。その友達と会うときは、決まってびっくりドンキーだ。ブロッコリーの箱舟を見るたびに、あだ名がブロッコリーだった古文の先生の話をしている。びっくりドンキーはカリーバーグディッシュが一番おいしい。

12/24(水)
ポンヌフの恋人」と迷った結果、「ヤンヤン 夏の想い出」4Kレストア版をル・シネマ 渋谷宮下で観る。やっぱりオールタイムベストに挙げたい作品だ。“映画についての映画”と言える作品が、こんなに衒いなく、詩的なものとして存在し得るのかと、観るたび驚かされてしまう。切り返しを徹底的に避けて一定の距離を保ち続けるカメラワーク自体が、いくつかの人生をコラージュさせた構成自体が、映画というアートフォームの在り方を雄弁に物語っている。蚊のようにほとんど見えないものに目を凝らし続けること。聞く耳を持たない者に語り続けること。何より想像力についての映画でもある。
夜に妻とプレゼント交換をした。2年前から予算1000円くらいにしていて、自分はミッフィー缶に入った紅茶をあげ、前に見てかわいいと話していたグラスをもらった。3層くらいの色に分かれていて、ルーマニアモンテビデオのアルバムのジャケットを思い出す。

12/25(木)
Hi,how are you?とkanekoayanoのツーマンをWWWで観た。ハイハワのライブを観るのは6年近く前の武蔵野公会堂公演以来。アズテック・カメラ「Walk out to Winter」からの「バンホーテン」でライブが始まったかと思ったらカネコアヤノが出てきてデュエット。最後はサザン「シャララ」を2人でカバーする最高のクリスマス仕様だった。「シャララ」はサザンで一番好きな曲だ。kanekoayanoのライブが凄まじく、2日前の自分の言葉を取り下げたい気分。

12/26(金)
現地で観れなかった囲碁将棋の単独を配信で観ながら仕事をしていた。例年よりも自由なネタが多かったような気がする。どの漫才も“これを面白いと思う”というさりげないエゴに満ちててうれしい。年内ギリギリまで仕事があるけれど、一応最終営業日ということで会社の人に「よいお年を」と告げて帰った。仕事納めの日のこのやりとり、清々しさと寂しさが入り混じっていてとても好きだ。
その後根津の日本酒バー 慶という店で友達2人と会う。人気のうどん店・釜竹の姉妹店で、締めに美味しいうどんを食べられるうえに、味と雰囲気のわりに安くてとても良いお店。年末の夜の根津駅周辺もまた寂しい空気が流れていた。

12/27(土)
昨日家に帰ってきてそのままリビングで寝てしまい、14時過ぎに目が覚める。完全な思いつきで妻と近所のケーキ屋に行き、人生初アフタヌーンティーをした。目の前にあるものをゆっくり食べるというのがどうしてもできないので向いていないかもしれない。すぐに食べ終わってしまい「こんなはずじゃなかったのに」という気持ちになった。
その後家に帰り名探偵津田を観る。ダイアン津田の発する“音”はなんでこんなに面白いのだろうか。

12/29(月)
粗品のロケの「ツッコミマン」を観ながら大掃除をする。ママタルト檜原さんの「教頭」のツッコミがすごすぎる。
夜は「イロモネア」からの「検索ちゃん」で年の瀬を堪能。ウーチャカ作「おやすみスヌーピー」で1日が終わるうれしさ。

12/30(火)
昨年に引き続き、家から30分くらい歩いたところにある市場に行き、すき焼き用のお肉を買う。今年は最終日ということもありお昼過ぎには全品半額になっていてラッキー。こちらも去年に引き続き、市場内にあるお寿司屋でお昼を食べた。この市場は団地がすぐ近くに隣接しており、生活の流れが見える。バスに乗って帰宅し、ゴンチャでウーロンミルクティーを飲んだ。
羊文学のフクダさんが脱退した報せを受けて、今年出たアルバムが昔からのファンにはウケていないと知ってなるほどと思う。音と声のシグネチャーそのままに曲だけがJ-POP然とした最新作こそ、インディー精神とメジャーフィールドの美しく稀有な誤配を感じられて好きなのだけど。

12/31(水)
正月飾りが欲しいという妻とセリアに行くもそれっぽいものが売っておらず断念。帰りにゆで太郎かき揚げを買い、お昼に年越しそばを食べる。近所の床屋に髪を切りに行き、待合スペースで「孤独のグルメ」の再放送を眺める。家に帰り、湯船にお湯を溜めてゆっくり浸かった。
18時過ぎからすき焼きの準備を始め、紅白に備える。毎年牛脂の入手を忘れている気がする。紅白は周年アーティストがやたらと多く、前半と後半で違う番組みたいだった。Perfumeがさすがにあっけなさすぎではと思ったけれど、「巡ループ」本当にいい曲だ。「やまとなでしこ」が大好きなので、「Everything」を歌うMISIAを眺める松嶋菜々子を見れて、なんだかとてもうれしかった。完全に時代の象徴となったミセスの大団円感もとてもよかった。
毎年年越し直後に嬉々として近所の神社に初詣に行っているのだけど、今年は眠くなってしまい諦める。テレ東のやりすぎ特番を朝まで観ていたのも遠い昔。もう完全に大人になってしまった。

覚えている限りで今年よかったものを一応記録しておく。「プルリブス」もまだ観れていないし、特に記録を付けてもいないのでもっとあるような気がするけれど。

Laura day romance「合歓る - walls」/ えんぷてい「愛はいつもひとりきり - EP」/ 野口文「藤子」/ Horsegirl「Phonetics On and On」/ HAIM「Relationships」/ Jenevieve「CRYSALIS」/ The Beths「Straight Line Was a Lie」/ Blood Orange「Essex Honey」/ 水いらず「水を捨てよ、内へ還ろう」/ pami「puffette」/ サブリナ・カーペンター「Man's Best Friend」/ Joyce Manor「All My Friends Are So Depressed」/ 想像力の血「夏のおみやげ」/ mei ehara「All About McGuffin」/ 座布団忍者「B132」/ フー・ドゥ・ユー・ラブ「We Don't Know What Love Is」/ Candelabro「Deseo, carne y voluntad」/ 水平線「たまらないね!」/ 生活の設計「長いカーブを曲がるために」/ SaToA「タイムリープ」/ TOMOO「DEAR MYSTERIES」/ mina tindle「Compass Rosa」/ cambelle 「Magic Moments」/ ゴリラ祭ーズ「The Drifter」/ マカロニえんぴつ「physical mind」/ 折坂悠太「のこされた者のワルツ」@NHKホール / Homecomings「the aquarium of illumination and night glare」/ ショーン・ベイカー「ANORA アノーラ」/ ジェームズ・マンゴールド「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」/ ジョン・クローリー「We Live in Time この時を生きて」/ アルベール・ラモリス「赤い風船 4K」/ 団塚唯我「見はらし世代」/ 土井裕泰「平場の月」/「ひらやすみ」(ドラマ)/「The Bear(一流シェフのファミリーレストラン)」シーズン4 / 永井玲衣「さみしくてごめん」/ 高畑鍬名 「Tシャツの日本史」/ 紫藤春香「福山雅治でいいのか」/ 佐藤雅彦展 新しい×(作り方+分かり方)/ 芸人キャノンボール2025 / さらば青春の光Official Youtube Channelの人間競馬と「行くかい」/ チャンスの時間「永野の人の嫁と話したい」/ いろはに千鳥でのおしみんまるへのノブの「生瀬のお笑い」というフレーズ

でも本当の「今年一番面白かったコンテンツ」はこれです。来年はこれより面白いものに出会えますように。

セリーヌ・ソン「パスト ライブス/再会」とあだち充「H2」、過去を手放して今を選び取るということについて

(※ネタバレあり)

セリーヌ・ソン監督の「パスト ライブス/再会」を観て、ボロボロ泣いてしまった。エンドロールが流れてる間、ずっとボロボロ泣いていた。いや、何も映画を観てる最中ずっと感極まっていたわけではない。完璧としか言いようがないショットの数々に胸を打たれながらも、終盤まで「この切り返しのショットすご!」「“いない人を映す“とはこういうことか!」「何この鮮やかな横移動!そしてこの陰影!」と余裕をぶっこきながら興奮していた。そんな中訪れたラスト1分のあるシーン。そのシーンが自分にとってはあまりに不意打ちで、観た瞬間ダムが決壊したかのように涙が止めどなくあふれてきてしまった。

そこまで泣いてしまったのは個人的な経験によるものが大きいので具体的には触れないとして、ふと「パスト ライブス/再会」は自分の人生における最重要作品と共鳴するのではないかと思った。それは、あだち充の代表作の1つ「H2」だ。産み落とされた時代も国も異なる作品だが、「H2」を人生の指針として生きている人間としては、どうしてもこの2作がオーバーラップするような気がしてならない。それはつまり、「パスト ライブス/再会」と「H2」はどちらも、過去を手放して今を選び取るということ、そしてそれでも流れてしまう涙についての作品なのだということだ。

「パスト ライブス」では、お互いに恋心を抱いている12歳のノラとヘソンが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。好き同士でありながらも子供がゆえに付かず離れずの距離感を保っていた2人がそのまま引き裂かれ、24年後に再開する、というストーリーだ。一方の「H2」は、主人公・国見比呂とその幼馴染・石川ひかりを中心とした物語。比呂は子供の頃からの幼馴染であるひかりを親友・英雄に紹介する。それをきっかけにひかりと英雄は付き合い始めるのだが、人より遅く思春期を迎えた比呂は、やがてひかりに好意を抱き始め、ひかりもまた...というあらすじだ。

というように、それぞれ違う形ではあるけれど、「パスト ライブス」と「H2」ではどちらも“始まることすらなかった初恋”にからめ取られる男女2人が描かれている。単に過去の恋愛に未練を持つのではなく、動き出すことのなかった、しかし動き出すかもしれなかった恋愛関係に、2人は呪縛をかけられてしまうのだ。その人生のままならなさに、物語のほろ苦さは加速していく。

そして人生のままならなさに直面するのはノラとヘソン、比呂とひかりだけではない。ノラの夫・アーサーや、比呂に思いを寄せるガールフレンド・春華、ひかりの恋人である英雄もまた、遠い過去にいる恋敵に対峙してはそれぞれ思い悩んでいる。何より彼らを苦しませるのは、相手の言動の端々に感じる“自分には踏み込むことができない領域”の存在だ。そしてそれは両作品とも“泣く“という行為に象徴されている。かつてヘソンの前で泣き虫だったノラは「NYに移住して以降、泣くことはなくなった」と語っており、それはアーサーの前でも例外ではない。H2でも比呂が唯一人前で涙を流したのがひかりの前であり、ひかりがある事件以降唯一人前で涙を流したのが比呂の前だ(22巻と29巻で、2人の泣き姿を遠巻きに眺める春華と英雄の鮮やかな対比)。そしてその”泣く“という行為に宿された意味が、両作品とも物語のクライマックスで重要な役割を果たしているというのも見逃せない。

そんなクライマックスについて、「H2」に対してよくあがるネガティブな感想として「終盤、春華が蚊帳の外すぎる」というものがある。最後の2巻にわたって描かれる比呂vs英雄の大一番は、確かに一見春華は物語にあまり絡んでいないように思える。しかし果たして本当にそうだろうか。この試合で比呂がなぜあそこまで勝ちにこだわったのか、それはひかりに対する“始まらなかった初恋”を終わらせるためだ。それはつまり過去を手放し、“あり得たかもしれない未来”への思いを断ち切り、今を選び取るためにほかならない。あの試合の中心には、やはり国見比呂にとっての“現在”である春華がいるのだと、自分はそう思う(だからこそ比呂は試合中、春華に「なれよな、スチュワーデス。絶対」と声をかける)。同じく「パスト ライブス」でも、ノラはヘソンという“過去”を手放す。ひたすら横移動し続ける長回しのカット。その先にいるのは、ノラにとっての“現在”であるアーサーだ。比呂とノラはともに過去への思いを断ち切り、今を推し進めることを選び取る。その選択は決して妥協なんかではなく、強い意思をもって行われたもののはず。それでも2人は涙を流す。そんな一筋縄ではいかない矛盾した感情を、人生における痛みを、苦味を、「パスト ライブス」と「H2」は鮮やかに描き出す。

登場の仕方のさりげなさゆえに語られる機会こそ少ないが、「H2」において最も重要なセリフ、それは誰がなんと言おうと30巻で出てくるこの言葉だ。

誰かを好きになった気持ちは、報われようが報われまいが、それだけでじゅうぶん意味があるんだよ

まるでこの世のすべてのラブストーリーの命題そのもののようなこの言葉。過去として捨て去られていく思いさえ「意味がある」と断言してしまう。そんな「H2」という作品の持つ態度は、結ばれることのなかった今世を「イニョン」という概念で肯定してみせる「パスト ライブス」と、時代を超えて共鳴しているような気がする。

2022年9月の記録

毎月ブログを書くという目標は恥ずかしいかな1年間も続かずじまいだったのだけど、今月は記録しておきたいことが結構あったのでひさびさに書きました(ところどころ8月後半のできごとも含む)。

漫画好きの友達と3人で、神楽坂のロイホでずっと「チェンソーマン」と平方イコルスンスペシャル」の話をしていた。「スペシャル」は今年の夏出会ってよかったもの第1位だ(2位はパルム安納芋味)。まだ読んでない人はこの先数行読み飛ばしてください。

もうシンプルに、こんなにも物語の展開に夢中にさせられたのって、覚えている限りここしばらくないかもしれない。それくらい最終巻は没頭してしまった。そして「スペシャル」は「ほのぼの日常物から急展開を見せてやろう」みたいないやらしさが一切ないのがすごいと思う。帯に書いてある通り「何かがおかしいことは最初からわかっていたはずだった」のだ。Amazonのレビューにある「これまで目を逸らして来たツケが回ってきたかのような、衝撃的で、目を背けたくなるような出来事が次々と起こります」という言葉がとても的確だなと思った。僕はこの作品を「一見平和に見える日常のすぐ裏側にはとんでもない悪意や歪みが渦巻いていて、それを見て見ぬふりしているうちに後戻りできないところまできてしまう」という、自分たち自身が生きるこの世界の話だと思って読んでいます。自民党統一教会の関係も気候変動も全部そう。そしてそれを「8年間かけた連載でスクールライフコメディからシリアスな展開へと舵を切る」という、作品の形式で語っているのがすさまじい。こんな作品は「スペシャル」以外この世に存在しないと思う。

「ブランクスペース」の最終巻はちょっとイマイチかなというのが正直なところ...。目に見えない物 / 忘れ去られていく物とフィクションとの関係性という主題は好きなのだけど、2巻あたりからずっと話の流れが歪で、それが最後まで続いた印象だった。荒唐無稽なバトルシーンとかにも乗れず...。
シマ・シンヤ「GLITCH」はまだ全貌がまったく読めないのだけど、見知らぬ町を舞台にしたSFジュブナイルものというだけでワクワクしています。

無性に詩を読みたくてなって、杉﨑恒夫「パン屋のパンセ」、西尾勝彦「歩きながらはじまること」、斉藤倫「ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集」、島楓果「すべてのものは優しさをもつ」、岡本真帆「水上バス浅草行き」を買った。俺も詩を書きたい。

「嫌なことから一目散に逃げるのがPYLの流儀」「もうこれ以上誰からも怒られたくありません」というステートメントから始まったperfect young ladyのバンド編成ワンマンは、今この瞬間に現場でしか目撃し得ないようなカルトポップが渦巻いていて最高でした。とても上質なポップミュージックをあくまでインディー的な感覚で鳴らす姿に、かつてのMAHOΩを想起したり。キッチュな雰囲気と楽曲や佇まいの端々から溢れ出る、人を食ったような舐めた態度がとにかく最高で、そういう姿勢は渋谷系的なものと近いなと思ったりもしたけれど、最終的にはキングオブコントのときのにゃんこスターアンゴラ村長みたいという結論に落ち着きました。

フィッシュマンズくるり、折坂悠太、カネコアヤノ出演のイベント「WIND PARADE」を秩父に観に行く。全組のパフォーマンスが素晴らしいのはもちろんのこと、最後のフィッシュマンズのライブパートで披露された全組総出での「ナイトクルージング」で普通に泣いてしまった。フィッシュマンズくるりに出会った学生時代からカネコアヤノや折坂悠太を聴いている今まで、自分の中の歴史の断片のようなものが思いがけぬ形で交差していて、生きててよかったなんてことを本気で思ってしまった。
カネコアヤノはドラマーが変わった影響もあってか、演奏の激しさに拍車がかかっていた。新曲はイントロから最後まで8分の6拍子(だったはず)。カネコアヤノはサビで急にハチロクになる曲が多いけど、全編通してなのは珍しい気がする。

Baes Ball Bearの小出祐介が、柴田聡子が手がけたRYUTist「ナイスポーズ」の歌詞の凄さを熱弁していると聞いて、聴きたさのあまり初めてラジコプレミアムに登録してしまった。それ以降「ナイスポーズ」をずっと聴いている。自分の中の2019年ベストトラックは「涙」だし、2020年ベストトラックは「ナイスポーズ」だ。「“今この瞬間”のひとつひとつがいつか思い出になってゆく(byさくらももこ)」ということに気づいた瞬間をここまでチアフルに切り取った曲がほかにあるのだろうか。「うとうとした肩を叩かれて振り返るまばたきの中」とメロディに対して詰まり気味に言葉を乗せた直後に、サビの「いっせいに飛ぶ綿毛 透明な空の手」でゆったりした譜割になるの、映像が急にスローモーションになった感じがあって聴くたび感動してしまう。

Laurd day romanceの新曲がとてもいい。シンプルなアレンジによって和声やメロの美しさが際立っていて、「Friends Again」の頃のシャムキャッツみたいだと思った。



「みんなのヴァカンス」「セイント・フランシス」「NOPE」「さかなのこ」「百花」「秘密の森の、その向こう」と、今月観た新作映画はどれもよかったのだけど「中途半端な感想を残すくらいなら沈黙してしまえ」とFilmarksに鑑賞記録を付けることすらやめてしまうという体たらく。Filmarksの点数の基準を明らかにミスっているのでリセットしたい。
しかし「みんなのヴァカンス」の夜の描写は出色だった。大袈裟でもなんでなく冒頭2分で「自分にとって特別な映画になる」と確信したし、その確信通りの作品だった。カラオケのシーンが印象的な海外映画を観ると、「カラオケこの国考えた」とかいうカシアス島田並みの“愛国心”が顔を覗かせてしまう。
「セイント・フランシス」はちょいちょい言われている気がするけど「わたしは最悪。」や「カモンカモン」に通じるものを感じさせる作品で、「わからない」ということを2時間かけて描いているのがよかった。性別も年齢も置かれている立場もまったく違うから安易に共感なんてできないけれど、いくつになってもみんな「わからない」まま生きていくんだと勇気付けられた。

1話分録画し損ねたせいで「初恋の悪魔」が完全に止まってしまい、全話終わったのに配信でも観ていないという駄目っぷり。流石にそろそろ観ようと思ってる。
友人から急に「大豆田とわ子を観て、坂元裕二のドラマにハマりそう」という旨のLINEが来たので「それでも、生きてゆく」と「最高の離婚」を全力で薦めてたら、自分も無性に観たくなってしまい、「最高の離婚」を全話観返した。もう5回くらい観ているはずだけど、段違いで面白すぎる。1つの明確な主題を豊かな会話劇にまとめ上げてしまう脚本も主演2人の演技もロケーションも群を抜いて素晴らしい。しかし、放送当時から濱崎光生に自己投影して観ていたのに、自分の中の濱崎光生性が年々薄れていることに気づいて寂しくなる。今の俺なら稲穂も喜んで振りそうだ。

8/27と9/18にお笑いライブ「グレイモヤ」を観に行った。8/27に観た友田オレのこのネタがとても面白かった。


阿曽山大噴火っぽい言い回しやネタの展開”なんてものが自分の中に知識として蓄積されていることに驚かされる。
あとケビンスは今すぐにでも売れそうな華とネタから滲み出る関係性の美しさみたいなものがあってすごい。
しかし「グレイモヤ」を観て以来、拍手笑いという現象についてずっと考えている。

前日に知って飛び入りでユーロライブに観に行った「夢の島志念公演」がとてもよかった。街裏ぴんく、小松海佑、永田敬介という2022年現在の漫談家三傑による2本ずつの漫談ライブだ。思春期ならではの自意識を見事に具現化した小松海佑の2本目「文化祭」もめちゃくちゃ面白かったのだけど、”手紙”をモチーフにした永田敬介の2本目が特に素晴らしかった。ファンレターについての話から始まり、脱線しつつ細部を笑いで埋めながら、いつの間にやらもう1枚の“手紙”の話へとつながっていく。ルサンチマンをまき散らすようなアウトローな語り口に反して、その筆致の鮮やかさはまるで向田邦子のエッセイのようだなと、ひとりで感動してしまった。

決勝をまっさらな気持ちで観たいという思いもありつつ、キングオブコントの準決勝の配信をギリギリに徹夜して2日分観てしまった。2日間ともロングコートダディが一番好きだった。1日目のネタみたいな会話を永遠に聴いていたい。
母親から「キングオブコントの決勝、2組も知らなかった」と連絡が来た。2組以外知ってるんかいと思ったし、その2組にや団が含まれてなくて、や団知ってるんかいと思った。絶対にダウ90000のこと好きだと思ってずっと薦めていたら、「深夜1時の内風呂で」の放送翌日にえらく興奮してる様子のLINEが届いた。それだけで、ものすごく意味のある放送だったんだなと感じる。

今月もっとも好きなあるあるは「市民会館で飽きたときに目に入る、時計と禁煙の文字と非常口マーク」でした。

中田敦彦「『曼陀羅東京』プロジェクト中止報告」の“面白さ”

「奇奇怪怪明解事典」でTaiTanが「上半期に観た動画で一番面白い」と薦めていた、中田敦彦の「曼陀羅東京」プロジェクト中止報告が、本当に今まで出会ったことのないような面白さで脳を揺さぶられてしまった。まだ観てない人は、このブログを読む手を止めて今すぐ観ることをオススメします。



25分間、最初から最後まで「ずっと何言ってんの?」の連続である。「実は中田って、聴いてたようで観てたらしいんだよ」「俺のトークの中の中田含有量」「中田が中田を商品にしたときに初めて中田は中田を売ることができる」「結局、中田目当てなんだよな」「次マンガ作るんだったら『中田』だな。楽曲も『中田』」「中田が合法ってのがおかしいんだろうな」など、中田の中田による中田のためのパンチラインのオンパレードだ。“中田”という概念を脱臼させつつ繰り広げられるセルフブースト。それが持ち前のペテン師じみた話術で25分にわたって繰り広げられたすえに「曼陀羅東京、中止です」と締めくくられる。なんなんだこれは。しかし「ずっと何言ってんの?」と思いながらも、腹を抱えて笑いながらまんまと25分間観続けてしまった。まんまと、である。

この動画の面白さの肝は、どこまでが“ボケ”でどこからが“マジ”なのかが絶妙にわからないところにあると思う。後半になるにしたがって「いやいや流石にこれはボケてるだけでしょう」と思うわけだけど(実際あっちゃんも自分で笑いそうになっている)、心の隅で「いや、やっぱり本気で言っているのか...?」と思わせてしまうような絶妙さがある。もちろんあっちゃんはプロの芸人であり“計算づくの戦略家”であるからして、当然“面白いこと”として言っているに決まってるのだけど、一筋縄にまるっきりそうとも思えないような何かがある。例えばまったく同じことをアルコ&ピースの平子っちが言ってれば、完全に“そういうボケ”として全員が受け止めると思うのだけれど、ここで話してるのは“YouTubeでの「講義」とオンラインサロンで富を得て、ときに堀江貴文やDaiGoと並列に語られるお笑い芸人”なのだ。その証拠に、コメント欄やTwitterを見る限り、「奇奇怪怪明解事典」で取り上げられる以前に、この動画が“面白い動画”として受容されてる形跡はほとんどない。YouTubeのコメント欄がそういう場であるというのを差し引いても、動画の内容を茶化したコメントはあまりに少なく、“マジ”なものとして受け取っているのが9割以上だ。

同じく「奇奇怪怪明解事典」で、条件反射的に笑ってしまうような面白い動画を競う「脊髄反射王」という企画が行われていた(暫定チャンピオンは、かの有名な城島リーダーによる「あややとぅーやー」)。そこで何度か言われていた「ツッコミが入らない場で行われてるからこそ面白い」という概念。それがこの「曼陀羅東京」中止報告動画では、動画内のみならず、コメント欄をはじめとする、この動画を取り巻く環境すべてにまで拡張されているのではないか。当事者レベルのツッコミはもとより、メタレベルのツッコミすら不在な状態。例えば初期「相席食堂」のロケVTRを、千鳥のワイプなしで“普通のロケ番組”として流していたら、これに近い面白さになるのかもしれない。

なので、その面白さが広まるにつれて、もしかしたらこの動画の魔法は解けてしまうかもしれない。こうしてブログを書くことで、その一端を担ってしまったらごめんなさい。でも、あんなに間を溜めた「まったく違法じゃないし...体に、悪く、ない」なんて面白すぎるものを目の当たりにして、口をつぐんでいられるわけがないだろう。

しかしTaiTanはどうやってこの動画に辿り着いたのだろうか。素晴らしいものに出会わせてくれてありがとうございます。そして「脳盗」レギュラー化おめでとうございます。

2022年3月の記録

年度末の仕事の多さに忙殺されて、半日稼働とかも含めると18連勤していた。ゆえに書くことがあまりない。
そして国内外問わずいいアルバムが山ほど出ていて、全然追いきれていない。

優河の「言葉のない夜に」は”音響フォーク”なんて呼ばれるものの国内作品の最高傑作なのでは?と思っている。全曲のミックスを手がけた岡田拓郎(ex. 森は生きている)、そして岡田、千葉広樹、神谷洵平、谷口雄からなる魔法バンドによるサウンドメイクの素晴らしさ。それが、優河というシンガーの存在が中心にあることで、とても開けた作品になっていることが、この作品を特別なものにしていると思う。

Laura day romance「roman candles | 憧憬蝋燭」は、前作「Farewell Your Town」が本当に大好きだったものの、その後のシングルが真っ直ぐなギターロック路線だったのでどうなるかと思いきや、まさかのインディーフォークどっぷりのアルバムになるとは(このインタビュー曰くClairoが大きな参照になっているよう https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/31328)。作品ごとのニュアンスの変化のさせ方も、バンドにとって勝負所と思われるこのタイミングでキャッチーな曲が1曲もないのも、とても頼もしいなと思ってしまう。そしてなにより、シンプルにソングライティングがとてもいいですし。

国外のアルバムはもうとにかくRex Orange Countyの「WHO CARES?」が最高。ヒップホップやネオソウルといった世界的なトレンドを真っ向から吸収しつつ、あくまでリビングルームに似合う、ささやかでタイムレスなポップミュージックに仕上がっている。Homecomings福富さんが寄稿したこちらの文もとてもよい。僕らはいつだって暮らしに近い音楽を愛している。(ホムカミの新曲のタイトルは「i care」!)

レックス・オレンジ・カウンティ(Rex Orange County)の音楽は僕を安心させてくれる――Homecomings福富が新作『WHO CARES?』について綴る | Mikiki

そういえばfuvkの「split death」もとてもよかったのだけど、fuvkもいつだか福富さんが紹介しているのを見て知ったし、Laura day romanceの今作にも福富さんがコメントを寄せていた。自分の感性は思ったよりも福富さんを軸に動いているのかもしれない。

そういえばこの前福富さんの愛読書だというスチュアート・ダイベックの「シカゴ育ち」を読んでいたら、1章のタイトルが「Farwell」で、Laura day romanceの「Farewell Your Town」はここから着想を得たのではと思ったのですが、どうなんでしょう。「Farewell Your Town」の街の描き方はめちゃくちゃシャムキャッツ的であり、めちゃくちゃホムカミ的なので、前作に元シャムキャッツ菅原さん、今作に福富さんがコメントを寄せるているのは、バトンが直接手渡されたようで、胸が躍る案件であります。

Yogee New Wavesの日比谷野音公演が本当に素晴らしくって、野音にしかないあの“特別な感じ”が間違いなく日本一似合うバンドでした。
Yogee New Wavesというバンドは、シャムキャッツやザ・なつやすみバンドや片想いやWORLD RECORDSの頃のcero(もちろんMy Lost City以降も最高だけど)を愛してやまなかった自分にとって、SuchmosやネバヤンやLUCKY TAPESやD.A.N.と同じく、10年代中盤の東京のインディーシーンの潮目の変化を象徴する存在で、どこか受け入れきれない感覚がずっとあった。それが昨年の「WINDORGAN」あたりからようやくそういったバイアスなしに聴くことができて、今回野音に行ったわけだけど、やっぱり掛け値なしに最高のライブをするバンドですね。ブラックミュージックを通過しつつ、最終的にどこまでも上質なロックンロールをやろうとしてる感じがめちゃくちゃよくて、そういう“バンドならではのマジック”みたいなものが、あのステージに最高に映えていた。ライブで聴くとカントリーやレゲエやフォークといったルーツミュージックの要素も強く出ていて、洗練されきっていないところがとても好きだ。生涯ベスト野音はもうこの公演で決定です。

カネコアヤノのツアーファイナルはいつも通りとてもよかったのだけど、新曲のライブアレンジがめちゃくちゃシューゲで、あまりそっちの方向に行きすぎないでほしいと思っている。
サニーデイ・サービス豊洲ワンマンもめちゃくちゃよくて、それ以来曽我部恵一ワークスをおさらいしている。「PARTY LOVE ALBUM」の「MAHO」がとても大好き。

去年すっかり見逃した「14歳の栞」の再上映を池袋シネマ・ロサで観れてよかった。
今泉力哉の「猫は逃げた」は想像以上に軽くて拍子抜けする部分もあったのだけど、シンプルに何度も声を出して笑ったし、劇場全体もずっと笑いが起きていて、それだけでもうよかったな。特に山場の長回しのシーンの笑いの数が尋常じゃなくて、結局自分はこういう会話劇然としたものに弱いんだなと思いました。

3月でもっとも好きなあるあるは「焼き鳥の聞いたことがない名前の部位、コリコリした食感を想像しがち」でした。

2022年2月の記録

2022年のベストバラエティが決定しました。チャンスの時間の「未解決事件検証!TKO木本はタイムリープしてた!?」です。時代の流れとともにバラエティ番組の放送枠がどんどん縮小するなかで、1時間全体の流れでここまで面白いものを見せてもらえることに痛く興奮してしまいました。エピソードトーク単体で十分面白いのに、そこにタイムリープというこじつけが加わることでこんなにも面白くなるなんて。後半の本人登場パートはチャンスの時間が十八番にしてきたイヤモニ指示系企画の到達地点なのではないでしょうか。「タイムリープしたなってきた」という身も蓋もないセリフの面白さよ。今年もバラエティは千鳥の1年になりそうです。

いろんな人が絶賛しているのを見て「マユリカのうなげろりん!!」を少しずつ聴いている。いわゆる深夜ラジオ的なグルーヴ感みたいなものはなく、なんてことないトークが毎回30分続くのだけど、その温度感がとても心地よくてずっと聞いていられる。阪本さんの、中谷さんを突き放すあの拗ねたような口調、とても大好きだ。
マヂカルラブリーANN0の機種変の話が“なさばな”の理想のようなトークで最高でした。

いくつもの漫談を数珠繋ぎにして1時間45分の作品にした、街裏ぴんく独演会「戻れ、みんな待ってる」は圧巻。まったく異なるものたちが確かに同じ世界で共存していて、とても異常なことのように思えるのだけど、でもそれって私たちがいるこの世界そのものではないか。

あたしンち」の共作者(けらえいこの夫)でもある上田信治の「成分表」がとっても面白い。「同じ景色を見ていても、この人の目にはまったく違うふうに映っているのだな」と思える瞬間にたまらなくときめいてしまうのだけど、この本には最初から最後までそんなときめきを感じてしまった。ある事象や概念を最小限まで解体していって見えてくる驚きや、それをまた別の事柄と軽やかに結びつけてしまう感動に満ちている。「受容器」という章の結びの「先日は家にいて、欠伸をこらえるとき顔の皮膚が後ろにひっぱられる感じについて、考えていた。自分はたとえば、世界のそのあたりを受け持つ受容器になれればと思う」という文章がこの本の魅力を端的に表していると思う。中でも「背景」と「所ジョージ」が特に好きでした。

当たり前のように映画を配信で観れるようになって、“映画館で映画を観る”ということの価値が自分の中で相対的に高まっているような気がする。というのを「ウエスト・サイド・ストーリー」を観て改めて実感した。あの映像と音楽の快楽性は自宅のテレビじゃ100分の1も伝わらないと思う。
「ウエスト・サイド・ストーリー」を観るにあたってスピルバーグ作品をいくつか見返したのだけど、「未知との遭遇」とか「激突!」とか、文字に起こしたらたった数行に収まってしまうのに、なんであんなに面白いのでしょう。でも結局は「ジュラシック・パーク」が一番好きかもしれない。子供の頃、千葉県は野田市にあるドライブインシアターで「ジュラシック・パークIII」を観たので、その記憶と密接に結びついている。調べると、野田市ドライブインシアターは昨年14年ぶりに復活したらしいです。びっくり。

「コーダ あいのうた」は脚本がかなり粗いのだけど、“乗り物”にまつわる映画的な運動が120分の物語の中で貫かれているのがとてもよかった。主人公と父親が、トラックの荷台に腰をかけながら心を交わすシーン、とても感動的だ。

「ちょっと思い出しただけ」は正直あまり好きではなかったのだけど、あんなふうに過去の出来事が今でもどこかで生き続けているというのは本当に素敵なことだと思う。だからチャットモンチーというバンドに特別な思い入れはなくても「CAT WALK」は本当に大好きだし、つい先日ストリーミングが解禁された川本真琴では「ドーナッツのリング」を一番愛しています。

ときに自分は「ナイト・オン・ザ・プラネット」と聞くとジム・ジャームッシュより先にHi,how are you? の「NIGHT ON THE PLANET」を思い出す人間なので、映画を見た日の帰り道にずっと聴いていた。

この頃のハイハワの曲はどれも無性にさびしくて大好きだ。当時のプロフィール「借りパクした漫画や延滞した映画、おわっちゃった夏のハーゲンダッツやイーニドがバスから見た景色をうたいます」の素晴らしさよ。

音楽はBig Thiefのアルバムをもうずーっと聴いていて、もはやそれ以外何も聴いていない。もう今年のベストもこちらで決まりです。

ラッキーオールドサン×Laura day romance×UlulUのスリーマンをFEVERに観に行くも、UlulUが出演キャンセルに。正直UlulUが一番観たかったので残念だったのだけど、ひさびさに観たラッキーオールドサンがとてもよかった。テクノロジーに飼い慣らされたせいでCDを聴くのがすっかり億劫で、最新アルバムの「うすらい」を全然聴けていなかったのだけど、こんなにも素晴らしいアルバムなのですね。ラッキーオールドサンはいつだって帰る場所を持たない根無草で、つまりもっとも“Like a Rolling Stoneの精神”を宿した2人組なのだ。アルバムを完全自主販売でリリースし(NEWFOLKの手からも離れ)、47都道府県を巡回しているのがその何よりの証拠だ。2015年頃のインタビューでシャムキャッツの夏目くんが「自分たち以外に国内の音楽でリアルだと感じらられるのはラッキーオールドサンぐらい」というようなことを言っていて、それがとてもうれしかったことを覚えている。だって本当にそうだったし、今もそうだから。

免許を取ったら君をのせて雲の向こうへ
道の駅で降りて
故郷の海がはるかになって夏は過ぎた
ひとりぼっちがふたり
あるいは誰ひとりいないのだ
(鴇色の市)

あらゆるものから解き放たれて、自分が何者でもなくなったかのような感覚になるあの瞬間。そんな一瞬のために自分はポップミュージックを聴いているような気がする。

2月でもっとも好きなあるあるは「冷たい手で目やにを取るときに振り絞る少しの勇気」でした。

2022年1月の記録

濱口竜介の「偶然と想像」を3回も観てしまった。なんで年内に観なかったんだろう。もう、とにもかくにも脚本のすごさに打ちのめされてしまった。例えば1話冒頭のたわいもない恋バナだけでも永遠に聞いてらるような面白さがあるし、その後の古川琴音と中島歩のやりとりはゾクゾクするほど魅力的。それでいて、2話と3話のようなとんでもないうねりを持ったプロットまで用意されているのだから、もうお手上げだ。
しかし、それだけではないこの映画の何かが自分のことを惹きつけていて、その正体がなんなのか1回目ではわからなかったのだけど、「PASSION」と「偶然と想像」を立て続けに観てなんとなくわかった気がした。自分は、徹底して“言葉”が負け続ける「PASSION」という映画が本当に許せなかったんだな。教室での真摯な訴えも、ゲームの力を借りて無理やり暴きあった本心も、ひたむきな愛の告白も、すべてちゃぶ台を返したかのように無に帰してしまうあの映画のことが。「PASSION」を観たあとに「偶然と想像」を観たら、濱口竜介の“言葉”というものへの態度の変化がとても浮き彫りに表れているように思えた。「偶然と想像」には、“言葉”というものに、もう少し限定的な言い方をするならば“対話”というものに、希望を託すような態度をどうしたって感じてしまう(それは「ドライブ・マイ・カー」だってそうなのだけど)。エチュードのような架空の対話を通してゆっくりと心がほどかれる3話がとりわけ素晴らしく、今の濱口竜介にとっての“映画”ってこういうことなんじゃないかと思った。

あとは「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」「ユンヒへ」「春原さんのうた」「フレンチ・ディスパッチ」などを観た。去年シアター・イメージフォーラムで見逃したケリー・ライカートの「リバー・オブ・グラス」を早稲田松竹で観れたのがうれしい。

今期のドラマも1話をいくつか観たのだけど、「偶然と想像」のせいで不感症になっているのか、持続的に観れそうなものが見当たらなかった。主演2人に惹かれて観た「恋せぬふたり」とか、テーマのためのセリフしかなくてびっくりしてしまった。
あとは山田尚子×吉田玲子×高野文子という座組みに惹かれてアニメ「平家物語」を観ている。

今年の笑い初めフットンダで観たジェラードン(海野さん不在)の「赤ちゃんショー」でした。「この時間に生放送でこのネタを見ているという事実が面白い」という感覚を久々に味わった気がする。
座王」の正月スペシャルはメンチ対決がとにかく最高だった。

「ダイヤモンドno寄席」「マヂカルラブリーno寄席」「粗品に買ったら10万円」など話題の配信をいくつか観た。でも一番は、やっぱり座・高円寺2で観た「サラリーマン川西の冬のボーナス50万円争奪ライブ」。前回に引き続き圧倒的な熱量で、誇張抜きで本当に全組面白い。ハゲネタなしでも綺麗な構成&脇田さんのキャラクターで爆笑をかっさらうシシガシラに、完全に脂が乗りきってるパンプキンポテトフライ。久々に観た街裏ぴんく「床穴」の迫力は完全に50万を取りに来た人のそれで、圧倒されてしまった。しかしなんと言っても、圧巻だったのは優勝したダウ90000のコント「バーカウンター」。そのタイトルは何度か耳にしていたのだけど、噂に違わぬハイクオリティなコントでした。日常のあるある的な切り口から、あれよあれよとワクワクする展開を見せてくれる。8人ならではのビジュアル的な面白さもあり、“会話劇”というダウ90000のパブリックイメージを覆すような“コント”としての求心力に満ち溢れていた。本公演にあれだけ魅了されながらも、短尺のコントについては帯に短し〜感を感じて、「あの子の自転車」をことごとくスルーしていたこと、深く恥じます。

ダウ90000第3回本公演「ずっと正月」ももちろん素晴らしかった。舞台設定とセットの構造が見事で、知り合うはずのなかった人たちが、1つの場所でガラスを隔たりしながら交わり合う様に胸を打たれてしまう。終わってからずっと、ホフディランの「恋はいつも幻のように」を聴いていた。すべてのぼんくら男子どもの恋は、いつだってホフディラン「恋はいつも幻のように」とピーズ「好きなコはできた」とともにあるのだ。


帰りに新宿の人気店でスパイスカレーを食べたら、あまりのスパイス感のなさに自分の舌が消えたかと思った。

なんとなく、本当になんとなく急に観たくなり、2008年にBSジャパン・テレ東で放送されていた番組「とにかく金がないTV」のDVDを買う。面白い。切り口と、地道なリサーチで面白い事象をつぎつぎ炙り出していく番組運び、ナレーションに込められた“悪意”など、なんとなくこのテイストは水曜日のダウンタウンに受け継がれているのではと思った。

オークラ氏の自伝「自意識とコメディの日々」はそれなりに楽しく読んだ。

囲碁将棋の情熱スリーポイント」の「イオンモールに入っている内科は幼稚」という話がたまらなく面白い。同じ景色を見ていても、2人の脳にはまったく違うように届いているのだなあ。#63の12:30から聴けるのでおすすめです。

Netflixで配信されている「アジズ・アンサリのナイトクラブのコメディアン」は必見です。

cero「WORLD RECORD」「My Lost City」と、ayU tokiO「新たなる解」という思い入れのあるアルバムのアナログ盤を入手できてとてもうれしい。どれだけ音楽的な進化を遂げても、僕は「あののか」が一番好きなのだ。

ひとりで過ごす昼間は 静かな顔で暮らしてる
不安なくらい自由さ ぼくら
立ち止まって呼吸をすれば どこまでも
のぼっていってしまいそうね
はたと気づく

郊外で暮らす無数の人が感じているであろう言葉になるはずのない感覚が、言葉として、音として、声として完璧に形になっていて、初めて聴いたときに本当に感動してしまった。

「新たなる解」は1曲目の「恋する団地(2016 ver)」がとにかく素晴らしいのだ。再生した瞬間流れる、ブライアン・ウィルソンも真っ青の美しすぎるコーラスワークに、豪華絢爛なホーン。躍動的なリズムとメロディに、ほんのりファンキーなギターが添えられる。こういう曲と出会うためにポップミュージックを聴いているのだと思わせられる。そしてayU tokiOは天才的なコンポーザーであると同時に、とても優秀な抒情詩人なのであると、「犬にしても」の「咲いてばかりでない 枯れてばかりでない」という言葉を聴くたび思い出す。

カネコアヤノとbetcover!!のツーマンをWWW Xに観に行ったら整理番号11番でまさかの最前列センターマイクど真ん前。とんでもない至近距離でカネコアヤノを観るのは言うまでもなく良い体験だったのだけど、それ以上にbetcover!!のライブに圧倒されてしまった。各曲ごとをシームレスにつないだアンコールなしの構成も、最高にストイックで痺れました。

kiss the gambler×ayU tokiO×屋敷のスリーマンを、晴れたら空に豆まいてで観る。昨年出したアルバム「黙想」を聴いて以来妙に気になる存在だったkiss the gamblerを生で見れて嬉しい。アルバムに収録されている「Fresh」「サマーサンライズ」「コンクリの家と砂の家」は才気が迸っているのだけど、同時に普遍性なんてものも宿っていて、近い将来NHKとかCMで彼女の曲が流れていても何ら不思議じゃない。
BASEMENTBARで観たシャンモニカのライブはギターがとにかくいい。そういえば「トゲトゲぽっぷ」の収録曲が、水ダウでひっそり使われていた。

宇多田ヒカル「BADモード」を聴いて、人生で初めて0.000001%だけ「子供がほしい」という気持ちが芽生えた。元昆虫キッズ・高橋翔のソロ曲はとんでもなくグッときますね。

東京駅近くのインデアンカレーでお昼を食べていたら、Homecomingsの新曲が流れてきた。こんなふうに生活の中で不意に出会うのにぴったりの音楽だ。福富さんの愛読書だというスチュアート・ダイベック「シカゴ育ち」を読んで、知らない街の知らない景色ってなんでこんなに素晴らしいんだろうと改めて思った。

1月でもっとも好きなあるあるは「持ち手を立たせたときにだけ、箱から覗くケーキの苺」でした。