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セリーヌ・ソン「パスト ライブス/再会」とあだち充「H2」、過去を手放して今を選び取るということについて

(※ネタバレあり)

セリーヌ・ソン監督の「パスト ライブス/再会」を観て、ボロボロ泣いてしまった。エンドロールが流れてる間、ずっとボロボロ泣いていた。いや、何も映画を観てる最中ずっと感極まっていたわけではない。完璧としか言いようがないショットの数々に胸を打たれながらも、終盤まで「この切り返しのショットすご!」「“いない人を映す“とはこういうことか!」「何この鮮やかな横移動!そしてこの陰影!」と余裕をぶっこきながら興奮していた。そんな中訪れたラスト1分のあるシーン。そのシーンが自分にとってはあまりに不意打ちで、観た瞬間ダムが決壊したかのように涙が止めどなくあふれてきてしまった。

そこまで泣いてしまったのは個人的な経験によるものが大きいので具体的には触れないとして、ふと「パスト ライブス/再会」は自分の人生における最重要作品と共鳴するのではないかと思った。それは、あだち充の代表作の1つ「H2」だ。産み落とされた時代も国も異なる作品だが、「H2」を人生の指針として生きている人間としては、どうしてもこの2作がオーバーラップするような気がしてならない。それはつまり、「パスト ライブス/再会」と「H2」はどちらも、過去を手放して今を選び取るということ、そしてそれでも流れてしまう涙についての作品なのだということだ。

「パスト ライブス」では、お互いに恋心を抱いている12歳のノラとヘソンが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。好き同士でありながらも子供がゆえに付かず離れずの距離感を保っていた2人がそのまま引き裂かれ、24年後に再開する、というストーリーだ。一方の「H2」は、主人公・国見比呂とその幼馴染・石川ひかりを中心とした物語。比呂は子供の頃からの幼馴染であるひかりを親友・英雄に紹介する。それをきっかけにひかりと英雄は付き合い始めるのだが、人より遅く思春期を迎えた比呂は、やがてひかりに好意を抱き始め、ひかりもまた...というあらすじだ。

というように、それぞれ違う形ではあるけれど、「パスト ライブス」と「H2」ではどちらも“始まることすらなかった初恋”にからめ取られる男女2人が描かれている。単に過去の恋愛に未練を持つのではなく、動き出すことのなかった、しかし動き出すかもしれなかった恋愛関係に、2人は呪縛をかけられてしまうのだ。その人生のままならなさに、物語のほろ苦さは加速していく。

そして人生のままならなさに直面するのはノラとヘソン、比呂とひかりだけではない。ノラの夫・アーサーや、比呂に思いを寄せるガールフレンド・春華、ひかりの恋人である英雄もまた、遠い過去にいる恋敵に対峙してはそれぞれ思い悩んでいる。何より彼らを苦しませるのは、相手の言動の端々に感じる“自分には踏み込むことができない領域”の存在だ。そしてそれは両作品とも“泣く“という行為に象徴されている。かつてヘソンの前で泣き虫だったノラは「NYに移住して以降、泣くことはなくなった」と語っており、それはアーサーの前でも例外ではない。H2でも比呂が唯一人前で涙を流したのがひかりの前であり、ひかりがある事件以降唯一人前で涙を流したのが比呂の前だ(22巻と29巻で、2人の泣き姿を遠巻きに眺める春華と英雄の鮮やかな対比)。そしてその”泣く“という行為に宿された意味が、両作品とも物語のクライマックスで重要な役割を果たしているというのも見逃せない。

そんなクライマックスについて、「H2」に対してよくあがるネガティブな感想として「終盤、春華が蚊帳の外すぎる」というものがある。最後の2巻にわたって描かれる比呂vs英雄の大一番は、確かに一見春華は物語にあまり絡んでいないように思える。しかし果たして本当にそうだろうか。この試合で比呂がなぜあそこまで勝ちにこだわったのか、それはひかりに対する“始まらなかった初恋”を終わらせるためだ。それはつまり過去を手放し、“あり得たかもしれない未来”への思いを断ち切り、今を選び取るためにほかならない。あの試合の中心には、やはり国見比呂にとっての“現在”である春華がいるのだと、自分はそう思う(だからこそ比呂は試合中、春華に「なれよな、スチュワーデス。絶対」と声をかける)。同じく「パスト ライブス」でも、ノラはヘソンという“過去”を手放す。ひたすら横移動し続ける長回しのカット。その先にいるのは、ノラにとっての“現在”であるアーサーだ。比呂とノラはともに過去への思いを断ち切り、今を推し進めることを選び取る。その選択は決して妥協なんかではなく、強い意思をもって行われたもののはず。それでも2人は涙を流す。そんな一筋縄ではいかない矛盾した感情を、人生における痛みを、苦味を、「パスト ライブス」と「H2」は鮮やかに描き出す。

登場の仕方のさりげなさゆえに語られる機会こそ少ないが、「H2」において最も重要なセリフ、それは誰がなんと言おうと30巻で出てくるこの言葉だ。

誰かを好きになった気持ちは、報われようが報われまいが、それだけでじゅうぶん意味があるんだよ

まるでこの世のすべてのラブストーリーの命題そのもののようなこの言葉。過去として捨て去られていく思いさえ「意味がある」と断言してしまう。そんな「H2」という作品の持つ態度は、結ばれることのなかった今世を「イニョン」という概念で肯定してみせる「パスト ライブス」と、時代を超えて共鳴しているような気がする。