思うことはいつも

生活していて感じたことや触れたもの

2021年9月の記録

岸政彦「東京の生活史」を少しずつ読んでいる毎日だ。150人もの生活が質量を持ってそこにあるという、それだけでたまらない気持ちになる。どこにも掬われることのない、取るに足らないような生々しい生が全てのページに刻まれていて凄い。

パンクバンドMILKのメンバーでもあるINAによる漫画「つつがない生活」も、1人の人間の生々しくささやかな生を描いた作品で、大切なことを言う前に「これから大切なことを言います」と言ってしまう照れがいい。
真造圭伍の「ひらやすみ」1巻がとてもいい。田島列島が推薦してるのも頷ける、物を与えることについての物語だ。舞台となる家を筆頭に、カリン酒、ペットボトルの水、ライト、白いアジサイと要所要所に出てくる''贈与''が人と人の連帯を炙り出す。
熊倉献「ブランクスペース」2巻は終盤になるに連れて不穏さが増していって胸がざわつくのだけど、線が少なく柔らかいタッチの絵がとにかく好みなので読んでられる。熊倉献という作家は「春と盆暗」から一貫して想像力について描いていて興味深い。
川勝徳重「アントロポセンの犬泥棒」はまだ整理が追いついていないです。

「お耳に合いましたら」最終回を見て、想像以上にお耳ロスに陥っている。好きなものを好きということを、絶対に止めない。OPとEDがどちらも超絶いい曲なのだけど、チェン飯のごとく誰にでも開かれていてすごくよかった。
「セックス・エデュケーション」シーズン3も一気に視聴した。ときに間違えたり関係を壊したりしながら、''恋人''や''友人''という言葉に囚われない2人だけの関係性を結んでいる登場人物全員が大好きなのだけど、特にメイヴとエミリーの関係性に瞳を潤してしまう。メイヴとオーティスが置いてけぼりにされて距離を縮めるみたいな、たまにベタなメロドラマのようになるのも好きです。

渋谷WWWで冬にわかれてと片想いのツーマンを見た。片想いのライブを生で見るのはいつぶりだろう。相変わらず終始頬を緩ませながら見てしまう。一切押し付けがましくなく、しかし生活レベルで確かに''鼓舞''してくれる音楽だ。しかしなんと言っても冬にわかれて。本当に素晴らしかった。美しすぎるバランスで作られた綺麗なトライアングル。1曲目に披露した「もうすぐ雨は」が本当に大好きで、「今から出たら多分あの橋のあたりで僕ら会えるだろう 今から出たら多分あの橋のあたりで上手く会えるだろう」というリリックから溢れ出る「多分会えないだろう」という予感に胸を打たれる。そんなことを考えていたら、2曲目の「君の街」で「会えたためしはないけれど 君を思っていたんだ」という言葉が飛び込んできて、冬にわかれてというユニットの輪郭が見えた気がした。
月の初めにはBASEMENTBARでMagic, Drums & Loveのライブも見た。いつ行ってもお客さんの年齢層の高さにビックリする。もっと若い人も来ればいいのに。メンバーがどんどん増えて、編成にとらわれない豊かなロックンロールが渦巻いてました。
田中ヤコブが提供したNegicco・Kaedeの曲、最高。



フジの特番「最強ピンネタ15連発」を見たら、狂おしいほど大好きな佐久間一行「お菓子劇場」がフルで放送されてて、狂喜乱舞してしまった。4回見た。佐久間一行のポップの皮を被った狂気、本当に大好きだ。井戸オバケなんてネタ史上一番設定が狂ってるんじゃないだろうか。



ゴッドタンの腐り芸人セラピーのみなみかわ回は、久々にゴッドタンで胸がときめいた。チャンスの時間の「ノブの好感度を下げておこう」でゲラゲラ笑う。「パシフィックヒム」に並ぶモニタリング企画だ。
「サラリーマン川西の夏のボーナス50万円争奪ライブ」は全組面白かったのだけど、設定とキャラクターと視覚的な面白さが密接に結び付いたゼンモンキーに感動してしまった。

10月のことだけど触れないわけにはいかない。キングオブコント2021が素晴らしかった。一新された審査員や温かすぎるほど温かい会場の空気で、こんなにも変わるのか。
ここ数年ずっと方々から聞こえていた「コントは''面白い''だけじゃない」という叫びが、ここにきて急に報われたような気がして、勝手に感慨深くなってしまった。今大会にはコントの無限の可能性が詰まっていたような気がする。つまりそれは、ホムンクルスへの気持ち悪さと母性という相反する感情だったり、「好きだなあ」と胸の内が明かされる瞬間のあまりに華麗な裏切りだったり、妄想が具現化するという構成の妙だったり、誘い笑いというプリミティブなギミックの発明だったり、天井の高さを活かしたチャレンジングな試みとそこに発生する恐怖だったり、危ないとされるおじさんへの屈託ない眼差しとおじさんの自我が増幅していく過程だったり、特殊な性癖と正義感を併せ持つ人間の複雑さとドラマチックなストーリー展開だったり、レジ袋をケチるという設定の時代性だったり、たまたま開いた扉の向こうに広がっていた豊かな無駄に溢れる異世界だったりする。ということで今は、人と人の関係性や感情なんてものは一切描かず、淡々とボールを体に当て続けたニッポンの社長の異質さに慄いています。あの無機質な機械の回転音とボールが当たったときの鈍い音が耳から離れない。

そして9月はそんなキングオブコントに収まらない、また別のコントの可能性を見た月でもあった。ユーロスペースで行われたダウ90000第2回本公演「旅館じゃないんだからさ」である。これがもう素晴らしいったらなかった。瑞々しく心地いい会話がひたすら繰り広げられる90分。間違いなくコントであり演劇なのだけど、いわゆる''コント''と大きく違うのは、めまぐるしく入れ替わるボケとツッコミの役割だろう。主に蓮見さんがツッコミを務めるコントと違って、大半の登場人物は固定的な役割を持たずに、ボケとツッコミをシームレスに行き来する。でも、現実での会話ってそういうものではないだろうか。当たり前だけど、この世のほとんどの人間が現実での会話では役割を持たずに、ときにボケになったりときにツッコミになったりする。そしてそれは、誰もが正常な部分と異常な部分を持っているということの表れではないだろうか。例えば、一緒にいたいがために映画を見るという恋心が自分に向けられた途端分からなくなるように。
そんな人の異常さ / 正常さ が顔を覗かせながら、止めどなく続く会話がとにかく心地いいのだ。「自己中メンタリズム」みたいなフレーズや、固有名詞の使い方も程がいいし冴えている。特に中盤の、それまでの登場人物が一気に交わる瞬間がたまらなく面白くて、なんとなく映画「街の上で」のハイライトを思い出した。後半になるに連れて増してゆくエモーショナルな部分も加減がちょうど良くて、ラストのあの薄明かりのささやかさは''エモい''なんて言葉に回収されない尊さがある、なんてことを思った。
人の記憶や思い出はあらゆる場所や物事と密接に結び付いていて、ときにそれはレンタルショップの会員カードのようには簡単に更新できないものなのだ。花を見るたび昔の彼女のことを思い出したり、映画の内容は覚えてなくても誰と見たかは覚えていたり、人の記憶は一見関係のないそこかしこに宿っている。そしてこの公演は、そんなレンタルショップで繰り広げらるやりとり全てを形にして残してしまう。何せ劇中でのこのお店のレンタル料は1枚108円。そう、この物語は消費税改定前、2019年10月以前の物語なのだ。今はもうそこにない過去の出来事を、演劇は、コントは、形に残してしまう。確かにそこにいた店員やお客さんやその彼氏や彼女の生活が、はっきりとここに刻まれているのだ。