思うことはいつも

生活していた感じたことや触れたもの

田島列島「水は海に向かって流れる」

 

田島列島久々の連載作品「水は海に向かって流れる」は、前作「子供はわかってあげない」に勝るとも劣らない大傑作でした。前作は、作品を貫く哲学に損なわれないような圧倒的な瑞々しさがたまらなかったのだけど、今作ではその瑞々しさと引き換えに、とても苦くシビアな空気が全体を覆っている。しかし、それを繊細な手ほどきで柔らかく心地いい会話劇に落とし込んでしまう筆致こそが本作の特別さに他ならないだろう。BRUTUSの漫画特集でスカート澤部氏も語っているように、田島列島の作品はとにかく余白が素晴らしいのだ。最低限の会話さえあれば、あとはコマ割りと無言の顔の目線だけですべてを語ってしまえる。そんな稀有な才能の持ち主だと思う。あだち充田島列島か、だ(1巻で直達が榊さんの買い出しの荷物を“半分持つ”シーン、めちゃくちゃあだちっぽい)。とにかく、1つ1つのセリフやコマから溢れ出てくる感情を、見逃さないように目を凝らして夢中になって読んでしまった。

本作のあらすじを乱暴にまとめるならば、「W不倫の関係にあった父と母を持つ、高校生の直達と26歳OL榊さんの“年の差訳ありボーイミーツガール”」だ。田島列島という作家は、家族や夫婦というつながりの脆さに常にオブセッションを抱いているような気がする。「子供はわかってあげない」や短編集「ごあいさつ」に収録されているいくつかの作品ににじみ出ていたそのフィーリングが、本作では「親族の基本構造」なんてものまで引き合いに出して中心に据えられる。
そして、この作品で重要なのが3巻通して用いられる「水」というモチーフ。物語の大切なシーンの多くが川沿いの土手や土砂降りの雨の中で起き、「シャツはしっとりかん」なんてはっぴぃえんど「相合傘」のオマージュらしき言葉も飛び出す。登場人物の名前に熊沢、泉谷、成瀬、宇多川、藤浪…と水辺にまつわる文字が冠されているのも偶然ではないはず。表紙に目を向けてみれば、1巻では雨、2巻では川、3巻では海が描かれていて、それがこの物語を端的に象徴しているような気がする。当然のことなのだけど、降った雨は川となり、それが海へと続いていくのだ。しかし、この作品の主人公の1人である榊さんはそんな自然の摂理にあらがうように、自らの時間と共に川の流れをせき止めようとする。時間を動かそうと1人躍起になっている教授が「何してんの?川下り?」なんて聞いたりするけれど、なかなか川は海へと流れ出さない。そんな川の流れを動かすのが、誰あろうもう1人の主人公である直達くんだ。榊さんの母に「怒りたい」と涙を流す、その瞬間ゆっくりと川は海へと流れ出す。

そして最終巻、2人は過去の傷と真摯に向き合いながら、ゆっくりとその呪いをほどいていく。拭い去ることのできない罪の意識を抱えながら、決して結ばれてはいけない(と感じている)2人がロマンスに落ちていく様子には、どうしたって「それでも、生きてゆく」の深見洋貴と遠山双葉の影を重ねてしまう。

最終巻での、これまでのシーンを反復させる美しさ。かつてミスタームーンライトへ向けられた「君は幸せになるよ」という言葉は、時間を経て直達へと届けられる。直達が寝たフリをしているところまで丁寧にトレースされて。1度きり行われた相合傘を段ボールで再現したかと思えば、大事な告白への返事はまさかのニゲミチ先生の「ぐう」だ。教授は「恋愛脳を獲得するまで帰れないよねぇ」と言うけれど、帰ってきているその時点で榊さんはきっと頭の冷えてない恋愛脳の色キチになっていたのでしょう*1。泉谷さんの「…帰ってこないと思ったのに」という言葉、直達は自分に向けられたと思っているけど、榊さんへも向けられているんじゃないかと思う。数ページ前の「私がまだ熊沢くんのこと好きだと思ってるのかもしれない 自分の気持ち隠してすっとぼけんのあの人常習じゃん」という言葉と照らし合わせると、泉谷さんはまだ直達のことを…なんてのは野暮な推測ですね、すみません*2

とにもかくにも、過去の傷にこんがらがりながら、行ったり来たり蛇行をくりかえしながらも、1つのカボチャをきっかけに2人の時間は再び動き出す。物語の大事な最終局面を何の変哲もないカボチャに託してしまうのが、田島先生らしくて最高じゃないですか。ニゲミチ先生譲りの「ぐう」ではぐらかされた直達は、1人ベランダから川を見つめる。そしてページをめくった瞬間、飛び込んでくるあの言葉。

 最高の人生にしようぜ 

川の流れる音と共に、止まっていた時間の流れる音が聞こえ出す。

*1:グラサンに変てこな柄シャツでパンツルックの榊さん、ずるいくらい完璧ですね。

*2:泉谷さんも絶対最高の人生にしようぜ。