思うことはいつも

生活していて感じたことや触れたもの

今週気づいたこと その3

7/15。
粗品TVの余韻が抜けない。
間違いなく霜降り明星の年表において、いや、もしかしたら令和のバラエティの歴史においても、とても重要な番組になるかもしれない。タイムループというコンセプトをバラエティに持ち込むという平成生まれ的な感覚、そのコンセプトとツッコミ企画のシナジー、散りばめられた「繰り返す」というモチーフ、そしてそれを全てやってのけることに違和感がない粗品という芸人の説得力。
しかし、この番組が素晴らしいのは、そのコンセプトや展開が単なる実験的精神だけでなく、かつて本人が「エンドレスエイト」に例えたように何回も落とされ続けたR-1ぐらんぷりとそのループからの脱出(=優勝)という、粗品自身の物語から来ているところだ。そんなループからの脱出の物語をR-1ぐらんぷり優勝特番でやってしまうのもまた恐ろしい。粗品という芸人の魅力が、センスやスマートさだけでなく、その裏にある人間的な部分に支えられてるのだなと、M-1優勝以降つくづく思う。
1994年生まれ、ほとんど霜降り明星と同世代の僕は、物心ついた頃からダウンタウンはもちろん、ナインティナインもすでにテレビスターの階段を上りきっていた。くりぃむしちゅーだって気づいた頃にはすでに売れっ子だったし、有吉の復活劇とかはあったけど、所謂スターの''登場''は見ていない。そんな、テレビスターとYouTuberの狭間の世代の僕は、お笑いスターの階段を1から上る瞬間を、霜降り明星で始めて目撃している気がする。
この番組の最後のループで、粗品がいくらの代わりに手にしたのはマグロ。止まったら死ぬと言われているマグロのように、お笑いのスター街道を泳ぎ続けてほしい。

 

今週のお笑いでいうと、3回もの引き分けにもつれ込んだ、座王アインシュタイン稲田vs銀シャリ橋本の「叫び対決」にも心が震えた。千原ジュニアのつけた「思想vs生活」というキャッチコピーも素晴らしい。面白すぎて、途中で流れた「今日も嫌がらせ弁当」のCMの篠原涼子の叫び声すら面白く感じてしまった。

 

7/13の土曜日には、GOMES THE HITMANの20周年ライブを見に行った。僕が6.7歳の頃に出たアルバムがまた新しい形で世の中に出ていて、25歳の僕はその音楽を目の前で聴いているなんて、とても素敵だと思う。

絶対このタイミングでやることではないのだけど、ブログのタイトルを変えてしまった。『思うことはいつも』、名曲だ。当面はこのタイトルで行こうと思う(できればずっと!)。改めてアルバム『cobblestone』を聴くと、あまりに丁寧な街や暮らしの描写と、それを支える美しいメロディに驚かされる。ここ何年かのシティポップの傑作たちが束でかかっても敵わない。

江本祐介の『Live at Roji』をようやく聴いている。今年は『ワゴンR』を沢山聴く夏になりそうだ。ファンファーレの頃の□□□みたいな、切なくなるほど瑞々しい最高のポップチューン。江本祐介や三浦康嗣、かつての山田稔明のような、少し鼻にかかったモラトリアムな歌声に誰か名前をつけてほしい。

ナツノムジナの『Temporary Reality Numbers』は、とても傑作な気がしている。

この曲、タイトルも歌詞も、ひんやりとした音像も本当に最高だ。

ふと聴きたくなって、神森徹也の名盤『GREATEST HITS』を聴いていた。(こういう音楽をすぐに聴けるのが、Apple Musicの良いところだと僕は思いますよ)しかし、神森徹也は日本のポップミュージックの歴史から無視されすぎではないか?キラーチューン『レミレミ』だけでももっと多くの人に聴かれますように。

この世で最も俗っぽくて切実な祈りたち。
自分の中にある神聖なものに必死に手を伸ばすように、彼はずっと祈ってる。

 

日曜日はきたもとの誕生日を祝って、美味しい中華を食べに行った。白金にある「私厨房 勇」というお店。
中華とは思えないような口当たりの上品さに驚いてしまった。後味のさっぱりした「牛頰肉のフレッシュトマト煮込み」と、炒め物とは思えないシャキシャキ感のある「帆立貝と中国野菜の炒め」が特に絶品でした。

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美味しいものを食べて「○○の概念が変わった」なんて常套句、ウソばっかりだと思っていたけど、困ったことにこれは本当に中華の概念が変わってしまった。ということは、「○○の概念が変わった」という言葉の概念も変わったことになる。概念はすぐに変わる。
独特の酸味がある担々麺も、辛さと旨味のバランスが絶妙で、どんな坦々麺の専門店より美味しかった。

 

今一番ハマってるあるあるは、「溜まった雨で道のくぼみを知る」です。